私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

いとあさましくいたましきかぎりになむ

2011-08-13 08:17:39 | Weblog
 二十四日の記録より

 「・・・かのやしきつぶれたるも、長屋の梁のいとふときに圧され、のがるゝ事をえず、人々力を戮せうごかせどもあがらず、火はいとちかくもえ来りぬ。・・・いとくるしげなる声して、今はたすかるべくもおぼえず、槍などにてつきころしてたまへというほど、ほのほかゝりてわれも人もやけうせぬ。・・・・」「いとあさましくいたましきかぎりになむ」

 と、あります。こんな話は、この度の震災では聞かなかったのですが、先の神戸の震災の時には多くこれと同じ光景を伝えた記事が見られました。この家には13人ばかりの人が住んでいたのだそうですが、結局、助かった人は4人だそうです。

 今回の地震でも、津波に襲われ高台に上る最中に、力尽きて波にさらわれて命を失った人がたくさんいたと云う話を聞きますが、それらの人を傍から見ている人の気持ちはいかばかりであったか、語りきれないものすごい思いがあったのではと想像しています。

 出来ることなら、こんな自然災害には遭いたくはないのですが、悲しい事ですが、我々は、何かの拍子に遭遇することも無きにしも非ずです。そのような場に遭わないように神に祈るしか人には方法がないのです。

 こんなことを考えれば考えるほど人間って本当は弱い生き物ですね。生かされている生き物なのです。

 昨日のト者のお話は例外でしょうが、普通なら、明日の事は誰にも分からないものです。そこで、この一寸先は闇のような人生から逃れる方法を伝授しておきます。別に宣伝費を貰っているわけではありませんが、私の氏子ですので、その宣伝をしておきます。
 
 それは、我が町にある吉備津神社のお竈殿の鳴る釜神事を一度お受けになられることです。

 この神事によって、将来のあなたの運勢を確実に占っていただけます。但し、3000円の祈祷料が要りますが、どうでしょう。あなたの何か心の内に秘めていることで、その成就の可否を御心配になっておられるお方は、是非、占って頂いてください。
 恋愛結婚は、勿論、金運、勝敗の行方、はたまた旅をも、更には、大仰に言うと、自分の運命の行方までもです。あらゆることの成就を占ってくれる誠に有難い神様なのです。また、そこで、もし凶と占いが出た場合にはです。もう2000円出すと、本殿に昇殿して、その凶を祓い清めて、確実に望みが叶うように拝んでもくれます。
 もし、世の中についての不安やお悩みの事がありましたら、安心して、みなさんも、一度、吉備津神社で、占ってもらったらいかがなものでしょうか。清々した気分になること請け合いです。

 この吉備津神社の占いは、他の神社にはない、ここだけの、誠に、理にかなった占いが出来る日本で、ただ、一つの神様なのです。そんな神様なんて聞いたことないでしょう。そこで、日本人なら一度、是非、どうぞ吉備津神社へお参りください。依頼すると、神官による神社案内案内もしてくれますので。そんな楽しみ方のできる神社です。吉備津神社は。

なゐの日並 

2011-08-12 07:51:40 | Weblog
 仙果先生の安政地震を今しばらく。

 地震より20日も過ぎると、そんなには書く事も無かったのでしょう。地震以後の各地で聞いたことを、噂話ですが、書いておられます。

 「二十三日、石町大横町すヾき越後の蔵前に売卜者のみせあり・・・」。
 このト者は、九月に、十月には大層恐ろしい「わざ」が起る。この辺りにいたならば「命が亡くなる」といって急いで何処かへ引っ越したのだそうです。その十月二日に、江戸の大震災が発生しるのです。そのト者は、その後どうなったのかは不明なのだそうですが、そのト者が住んで家辺りは、蔵の壁などが落ちて山のようになっていて、もし、あのト者があそこら辺りにいたら、それこそ「命を亡くしていただろう」と、皆、噂していたと云う話を載せています。占いをする人だけあって、事前に災難を察知して、どこかよそに引っ越してしまったと云う噂をです。

 こんな話しか書く事がなくなった、ようやく平穏さが取り戻した町中の様子が分かります。

つい、有頂天になって

2011-08-11 09:26:43 | Weblog
 昨日のキスゲについて多くの人に私のブログを見ていただきました。訪問者が久しぶりに210件を超えました。と云う訳で、天にも上るうれしさで、又、「いらんことをけえて、どねえに しょうとおもよんなら」と、例の彼からお叱りを受けること確実ですが、敢て、書かせていただきます。お笑いください。

 今朝の新聞によると、どうも菅さんお辞めになるらしいですね。昨日の今日です。私があんな事を書いたからではないにしても、少々小気味良いような感じがしています。

 蕪村の句に

       “夜の蘭 香にかくれてや 花白し”

 と云うのがありますが、菅さんが隠れて、例え、野に下ろうとも“花白し”で、自分の政治使命はこれからも発揮できます。遅きに失した感はありますが、まあ、
    
    世の中は 風吹き荒れて キスゲ散るか    りょ

 です。

 只今、世の中、摩訶不思議だらけでいっぱいです。昨日からの報道で知ったのですが、中国でならいざ知らず、まさか、イギリスでもあんなことが起きようとはですね。世界は、いや、日本は、どうなって行くのでしょうか?????

地球の花「キスゲ」

2011-08-10 08:11:46 | Weblog
 ここで、また、地震の話をほっといて、7月15日にも書いたのですが、私の庭で咲いている花について、再び、その不思議を発見したので記しておきます。

 まあ、もう一度、この美しい花を見てください。

 地球上、何処にも無い、この花以外では見ることが出来ない誠に不思議な淡い日本の黄色とでも言っていいような色を見せてくれます。それを身に纏い付けていると云う誇らしげな様子は皆無です。しとやかに、誰も見る人もいない真っ黒な夜に、自分一人で、誰にも見られずに静かに咲いている、これこそ日本の花といっても過言ではないと思われます。
       

 この気品のある黄色は何と呼べばいいのでしょうか。菜の花色でしょうか、それとも、黄檗色でしょうか、そのいずれでもない中黄と云えばいいのでしょうか、表現のしようがないような「清楚な黄色」としか言いようがないような色をその全身から放っています。見る人をして、あたかも、無我の境地に陥れるのではないかと思わすような黄色です。写真では、その真実の色は、決して、写し出すことは出来ません。でも、今回写した写真では、割合とその色にごく近い黄色が写せたのではと思っていますが??見てください。
 
 勿論ですが、菅さんにもです。でも、この花の見られる時期は、後1日か2日だろうと思われます。この花と一緒に、あなたの政治的時間を終焉とされたらいかがなものでしょうか。同じ「菅」ではないですか。今夜も、この花を見ながら思っています。「虞や虞や汝は如何せん」とならないうちに???もう、その感が大きいのではないでしょうか。あなたが総理大臣に居座っておれば、現在の日本が確実に良くなるならともかくも、誰かほかの人に託しても、結構、あなたの政策と何ら変わりない、同じことになるのでは無いでしょうか。「菅ではだめだ」と云っている連中に、それを実証するのにもよい、今がチャンスではないでしょうか???ケセラセラトとです。とどのつまりは、菅さんに任せておけばよかったと、将来の歴史家が評価する時期がきっと来るのではないかと思われるのですが。
 
 このキスゲは虞美人草よりはかない花でありますが、この花を見ながらそんなことが思われます。

 それはそうとして、この花は、単に、これだけの特別に美しい色を備えた花だけではありません。もう15日以来、何日も続けて見ているのですが、不思議がこの他にもあるのです。
 それは、この花には、体内時計が備えつけていあると云うことです。おわかりでしょうか???


 それは、25日間、観察した結果、今年、始めて気がついたのですが、この花はかっちりと午後4時には開化を開始して、翌朝6時にはきっちりとその花びらを閉じます。この花の一生は12時間なのです。雨の日でも曇りの日でも変わりなしにです。光線の具合でなく、きちんと時刻を読む機能を備えているのではないかと思わせる正確さがこの花には見られます。植物の事はよくは分からないのですが、開花時間を確実に指し示すような植物が、この花以外にあるのでしょうか。その開花時間が、きちりと、12時間だと云う辺りにも、この花が地球の時間に適合した花であるといっていいと思います。こんなことを思うと、この花のように、地球的時間は察知しなくてもいいから、せめて、日本の政治的時間ぐらいは読める菅さんになってもらいたいものだと思います。どうでしょうか。明日にでも「どうぞ」と云いたいのですが???

 この花は「キスゲ」です。「ニッコウキスゲ」等と同じ菅仲間の植物でしょうか。その体内時計の時間的な誤差は、毎日、5分とはないのですから、誠に、不思議な花です。

命より大事な物

2011-08-09 07:08:38 | Weblog
 此の日記を読んでいきますと、江戸の人々が、当時、使っていて、現在では使われないような驚くような言葉が時々出て来ます。其の中で、特に、現代では、不適切な差別語だとして、厳に、戒められているような言葉も見ることが出来ます。<あしなへ>という言葉です。漢字で書きますと「蹇」「跛」だそうです。

 「・・つまはあしのほねをひしぎ、あしなへとなりぬと云。・・・」
 
 と、あります。<ひしぐ>と云うのは押し潰されると云う意味です。<あしなへ>と云うのは足がなえる、足が普通に使えなくなって正常に働かなくなった状態を言う時に使う言葉です。その続きには
 
 「されど、後には全快すべくや。三人の子どもはさわりなし。さるあやふき時にも、としごろ心してつくし写しおきたる、おもしろくめづらしき粉本ようのものは、男(こ)をして仆家の内より出させ・・・」
 
 と出ています。
 この屋の主人(絵描き)は、余程、自分がそれまで、スケッチなど描き置きしていた下絵が大切だったのでしょう。「隣家の物のたふれかかれるに圧仆され」、右手のうで骨を折って、自由が利かなくなっていても、その息子か弟子にでしょうが命じて、家の中に置いてきた、それらのものは、持ち出させて無事だったと書いています。その他、本などは大方焼けてしまったのだそうですが。

 人と云う者は、地震という非常時にでも、己の命もどうなるか分からないような時にです、咄嗟に、今、自分は何を一番初めにすべきか冷静な意識が働いて、人に命令するなりして、自分の思いがかなうような働きが出来る物なのですね。それこそ、文字どうり「命より大事な物」を守ることが出来るのです。
 「カジバノクソジカラ」と云う事を聞いたことがあるのですが、人間って、本当に不思議な生き物ですね。

 このような地震が、次第に、終結を迎えようとしている時、それに関する色々な逸話しか書く事がないような落ち着きを取り戻した江戸の様子を、この後、霜月十六日まで、なにやかやと書き綴っています。もう、「このへんで」と、思いましたが、まあ、後少しばかりです。ついでですから、最後まで仙果先生の「なゐの日並」を追ってみたいと思います。

車軸を流す

2011-08-08 19:39:22 | Weblog
 十八、十九日になるともう余震もなくなったのでしょう。地震に関する記事は無し。十八日などの日記には、

 「夜に入東風のゆよく吹、雨車軸を流すがごとし、よもすがらやまざりけれど地震なし」
 <車軸を流す>というのは、車軸のような大粒の雨と云うことから。現在で言う<バケツをひっくり返したような>ぐらいのお雨の例えだと云うことです。十九日も「てけいとよく晴れわたりぬ」とあります。明日と打て替わって上天気です。ただ、これだけしか書いていません。地震も漸く終着したのでしょうか。
 地震発生が二日の夜ですから、さしもの地震もようやく収まったのでしょう。
  

是も噂話“いとおこなり”

2011-08-07 07:48:15 | Weblog
 十月十七日の日記より

 地震発生から二週間も経過すると、あれほど詳しく江戸の町々の被害状況を書き綴っていたのですが、この2,3日かく事もないのか、簡単に二,三行で終わっています。

 「・・・午の下刻やや驚くばかりひとつゆる。積みたる箱どもうごくほどなり。・・・」
 と。
 仙果先生の記録ですと、地震が発生したのが十月二日の夕方です。それ以後、日に何回か大きな余震が続き、人々の大いなる恐怖心をあおります。そのような大きな震りは、七日を最後に漸次収まって行きます。でも、十七日、「やや驚くばかり」と形容した震れが発生しています。久しぶりのやや大きめの震れがあったのでしょうか、そこからまた噂が街中を飛び交います。これもまた振るっています。

 「十八日は心をつけ、大火たくななどこのころのゝしりさわぐ。観音のみさとしおほやけよりの御触也などという」

 十七日のやや驚くべきばかりの久しぶりの余震に驚いたのでしょうが、観音様の御触れだとかお上からの御達しだとか、そんなあらぬ噂が飛び交います。其れも「十八日には」と云いますから面白いではありませんか。十七日の1時頃に地震が起きて、いくばくも時間が立ってないにもかかわらず、たちまちの内に、江戸中に、この噂が流れ広まり、市民に恐怖心を煽り起てます。火の使用は十分気を付けというのです。観音様のお告げと云うのもまた振るっていますね。お上からの御触れと云うのも、現実的で、さもあらんと思われます。

 そんな噂に対して、先生は
 「いとおこなり。はたして」
 と、大変ばかげたうわさだ。そんあことがあるもんかと、書いています。

 なお、蛇足ですが、「おこ」と云う漢字をしっていますか????

 「痴」「烏滸」「尾籠」「愚戯」

噂話(2)

2011-08-06 08:28:31 | Weblog
 この日も噂話が出ています。

 「十四日の雨にて、古家などまたつぶれ、死傷のもの多しなどいう人あり。虚実つまびらかにならず。」

 と、あります。どのくらいの雨量か分からないのですが。十三日の日記によりますと、
 「十三日くもりて日の影をみず。夕ぐれつかた少しふり、暁方よりつよくふり、翌十四日一日ふりたり」
 の状態だったのですが、やはり地震の影響でしょうかか地盤が緩んでいたのでしょう、ちょっとの雨でも土砂崩れが起き、家が押しつぶされた物と思われます。
 でも、人々にすれば、これくらいの雨で古い家だとしても潰れるのはおかしいと思ったのでしょう。本当のことは分からないと、仙果先生も書いています。
 そんな噂もたちどころに江戸中に広がっていたのでしょう。地震に対する相当強い恐怖心を持っていたのは確かな事だと思われます。発生後、二週間が経過しているのにも関わらずですが。

げいしゃ家つぶれる

2011-08-05 08:22:35 | Weblog
 地震もどうにか落ち着いたのでしょうか、それでも1日に数回は起きていいたのでしょうが、人々もようやくその不安から解放され安堵した生活が出来るようになります。
 そのような中、人々は色々な噂を耳にするようになります。その一つを、「なゐの日並」では取り上げています。
 
 「四日五日のころ、池の端近きおすきや町辺のげいしゃ家つぶれたる。さならぬもにごり酒田楽など広小路に出店してひさぐ。髪を銀杏くづしにむすび、鉢巻し、緋の胴ぬきの下着に、たちつけはきなど花やかに粧ひ酌などもすれば、かようの世界にても、色好のみちは忘られぬものなれば、うつゝ心もなく買人いとおほしなど云」
 と。

 「さならぬ」は<どうもそうらしい>ぐらいのいみでしょうか?。芸者家が潰れたのですから、当然商売はできません。そこでそこの主人が考えたのでしょうか。何もすることが無くなった芸者衆を利用したのです。その方法がふるっています。
 まずやったことは、ふだんは芸者ですので、髪型は島田髷が当り前でしょうが、この時は、急遽、酒や田楽の売り子に変身するのです。芸者ではありません、普通の女の子になるのですから、この時は、如何にも若い普通の女の子のような銀杏くづしに結わせます。次に、ここの亭主でしょうが考えました。この子たちが出は芸者です。それを前面に出した商売にしなくてはなりません。そこで考え付いたのがこの商売を思い付いた演出家の凄腕だと思いますが。赤い胴ぬきの下着、たちつけはき?などど派手な格好をさせて、酒や田楽を売らしたのです。しかも、酌までさせたのですよ。心憎いばかりの商売上手と云うか、人の心を見抜くに長けた人の企画だとは思われませんか。時が時だけに、商売繁盛すること請け合いだと思います。そんな人が当時の江戸にもいたのかと感心させられます。こんな時、わざわざそんな事をしてまで稼がなくてもと云う批評家はいると思いますが、こんなことを企画して実行に移せるのも、亦、江戸ではないかと思われます。
 でも、その企画が大当たりしたのです。まあ、そんな時に人の度肝を抜くような芸者のど派手な恰好が評判を呼んだのでしょうが。もの好きというか、地震発生後四日なのですよ、色好みの男性が沢山あつまったと云う事だそうです。そのような人達を、仙果先生は「うつつ心もなく」と書いておられます。うつゝ心がなくではなくて、あったから多くの人が集まったのではないでしょうかね。
 さて、皆さんなどうしますかね????話の種に私だったら見学ぐらいには出かけていたのではと思っています。いくら年寄りでも、それぐらいな好奇心は、まだ、あるのではないかとおもいますがね。

      おかしいでしょうかね??????

十四日

2011-08-04 07:33:25 | Weblog
 地震は発生から十三日目です。江戸の市民の生活にもようやく安堵の気が芽吹いてきたのでしょうか。「よる亥刻地震一つ、きのふより少し強し」。「日くれてひとつ、暁にもありしときけど知らず」とあります。回数もその大きさも次第に終息していったことがよく分かります。
 また、「中戸とぢず」とありますから万一のために家の中の戸は安全のため、開けたままで寝たのでしょう。
 
 十四日のは、いたって簡単にこれだけで終わっています。

世界中が奇々怪々です。火除地も

2011-08-03 08:09:47 | Weblog
 此の地震の被災者のための救済所を幕府は、江戸市内に、沢山造ったのだそうですが、地震発生から十二日目の仙果先生の記録にもあります。

 「山下火除地に御救小屋たつ。今つくるさいちゅうなり」

 とあります。
 それにしても遅すぎるきらいが感じられます。この御救小屋は江戸の方々に作られているから、一機にと云う訳にはいかなったのだろうとは思われますが。地震発生十二日目ぐらいからようやく、幕府は救済処置をしております。十日間も一体何をしていたのでしょうかね、現在では考えられない事だと思います。が、役人たちが右往左往したのではないかと思われます。1855年です。ペリーの黒船騒ぎが一段落した時です。幕府によっては「一難去ってまた一難」、幕府始まって以来の最大の難局時だと、いってもいい時です。どれだけの財政の出動があッたのかは不明です。 これは教科書などでは語られてはいませんが、間接的な幕府滅亡の原因の一つになったことには間違いありません。「この内閣では地震対策の政策など詮議出来ない」となんとかいって、誰かの首を取ると云う、どこかの国の出来事とよく似ていませんかね。

 それにしても「今つくるさいちゅうなり」とは面白いですね。「なにゅうやってんだ。いってえ、てめえ達の目はどこへついてるんでえ」と云う江戸ッ子の言葉を代弁しているのでは?????皮肉たっぷりの言葉ですよね。この辺りにも、この本の面白さがありますよね。

 尚、この前日の記述に
「誠や永代寺境内にも、おすくひ小屋たつ」とありますから、この頃から救済処置が取られたことには間違いありません。情報がない社会でしたから、そのために命を失った者がたくさんいただろうと想像がつきます。それに比べると現在の情報化社会は有難いものですね。日本ではの話ですが。ところが、あの中国の政府の失態とは一体何でしょうかね。今の日本の常識からではとても考えられませんね。世の中が奇々怪々なことの連続ばかりのようですね。アメリカしかり、ヨーロッパしかり。

 それにしても、あのなでしこジャパンの国民栄誉賞と云うのは何でしょうかね。これも、それらの奇々怪々な物の中に入る一つではないでしょかね。


 この文からもう一つ当時の江戸にあって設けられていた施設として、現在ではないのですが、「火除地」と云う空き地が点々と存在していたのです。火事を食い止める為に設けられた空き地です。平生は何に利用されていたのでしょうか、映画や小説などでも取り上げられてはいませんが、あったことは確かですが、始めて仙果先生の報告で分かりました。こんなことも本を読む楽しさがありますね。防火用の水桶は映画などではよく見るのですが???
 これも江戸の華と歌われた火災に対する庶民からの予防策だったと思われます。まさか幕府の施策だったのではないと思いますが、どなたか詳しいお方からのお教えを頂きたく思います

三橋

2011-08-02 06:55:20 | Weblog
 十三日の仙果先生の尋ねた江戸市中ですが、其の中に「三橋」と云う文字が見えました。何処にあるのか知りませんが、私の持っている「江戸名所絵会」をぱらぱらと捲ってみますと、偶然にですが出くわしました。その絵をご覧ください。


   

 なお、この絵の中に書きこまれている文字は

  「風羅袖日記八丁掘にて
            菊の花 さくや石屋の 石の間  芭蕉」
 
 です。「八丁掘」と云う字が見えますから、永代橋の付近か、その辺りだとは思いますが???


 余分なことですが、此の十三日の日記には「ゆしまの天満宮も女坂大に崩れ、本社の損害おほし」あります。「ゆしま」といえば、私さえ知っている江戸の名所だと思うのですが、この名所絵会にはそれが載ってないのです。ということは、江戸のそれでは余り取り上げられるほどの有名な場所ではなかったのかとも思ったりもしていますが、どうでしょうかね。