私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

「なゐの日並」も最後です。

2011-08-28 18:04:38 | Weblog
 安政2年10月2日に発生した江戸の町を壊滅的に破壊し尽くした安政の大地震は、江戸幕府倒壊の間接的な原因にたったとされています。此の大震災の浅草を中心とした記録が、笠亭仙果の「なゐの日並」に、克明に記されています。それを発生時から順に追ってまいりました。まだ梅雨も明けやらぬ6月19日からでしたが、今日まで、知らない間にもう2が月半になりました。
 この「なゐの日並」は、発生時10月2日から、その終焉が明らかになった11月16日まで、約一か月半にも及ぶ、一人の戯作者の貴重な記録です。この中で仙果先生は、一江戸市民として見聞きした地震騒動の一尾始終を書き表しており、これによって、19世紀中ごろの江戸の世相をも色濃く知ることが出来ます。あまり知られてはいないのですが、まあ珍しい書物だと思われます。

 その最後を書き出して終わりとします。

 「一六日も風あらき中に一ツゆすり。亀井戸あたりの家つぶれしなどいふ。虚実をしらず。けふ尾州家の御くらやしき鬼頭氏のいはるゝよう、市ヶ谷の上やしきこゝもすべて所々そこなはれつれど、指一本きづつきしものなし。またおはら焼の陶器をうる江戸の問屋十七軒あり、ちかきころあつたのおほん神を7うやまい信じて大々かぐらなど奉る事也。こたびの大変に十七軒のもの一人死傷もなく、しなものもそこなわれざりしとて、悦びのぬさ奉りなどしたりよし。いといとたうとき事なり」

 この仙果先生、生まれが三河者ですから、相当に熱田神宮に肩入れしていたのではと思われます。最後にその熱田神宮の霊験新たかな事例を取り上げて、この地震記録の最後を飾っています。

 本当に、6月19日から二か月半にも渡って、今回の東北地方の大震災の早期復興を祈願してと云うこともあって、吉備とは何らかかわりのない、今から150年も前に起きた江戸の地震のお話に終始しましたが、このへんで終わりにします。長い間お読みくださってありがとうございました。また、明日からは、吉備のお話に戻りたいと思いますので、こりずにお付き合いください。