私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

世界中が奇々怪々です。火除地も

2011-08-03 08:09:47 | Weblog
 此の地震の被災者のための救済所を幕府は、江戸市内に、沢山造ったのだそうですが、地震発生から十二日目の仙果先生の記録にもあります。

 「山下火除地に御救小屋たつ。今つくるさいちゅうなり」

 とあります。
 それにしても遅すぎるきらいが感じられます。この御救小屋は江戸の方々に作られているから、一機にと云う訳にはいかなったのだろうとは思われますが。地震発生十二日目ぐらいからようやく、幕府は救済処置をしております。十日間も一体何をしていたのでしょうかね、現在では考えられない事だと思います。が、役人たちが右往左往したのではないかと思われます。1855年です。ペリーの黒船騒ぎが一段落した時です。幕府によっては「一難去ってまた一難」、幕府始まって以来の最大の難局時だと、いってもいい時です。どれだけの財政の出動があッたのかは不明です。 これは教科書などでは語られてはいませんが、間接的な幕府滅亡の原因の一つになったことには間違いありません。「この内閣では地震対策の政策など詮議出来ない」となんとかいって、誰かの首を取ると云う、どこかの国の出来事とよく似ていませんかね。

 それにしても「今つくるさいちゅうなり」とは面白いですね。「なにゅうやってんだ。いってえ、てめえ達の目はどこへついてるんでえ」と云う江戸ッ子の言葉を代弁しているのでは?????皮肉たっぷりの言葉ですよね。この辺りにも、この本の面白さがありますよね。

 尚、この前日の記述に
「誠や永代寺境内にも、おすくひ小屋たつ」とありますから、この頃から救済処置が取られたことには間違いありません。情報がない社会でしたから、そのために命を失った者がたくさんいただろうと想像がつきます。それに比べると現在の情報化社会は有難いものですね。日本ではの話ですが。ところが、あの中国の政府の失態とは一体何でしょうかね。今の日本の常識からではとても考えられませんね。世の中が奇々怪々なことの連続ばかりのようですね。アメリカしかり、ヨーロッパしかり。

 それにしても、あのなでしこジャパンの国民栄誉賞と云うのは何でしょうかね。これも、それらの奇々怪々な物の中に入る一つではないでしょかね。


 この文からもう一つ当時の江戸にあって設けられていた施設として、現在ではないのですが、「火除地」と云う空き地が点々と存在していたのです。火事を食い止める為に設けられた空き地です。平生は何に利用されていたのでしょうか、映画や小説などでも取り上げられてはいませんが、あったことは確かですが、始めて仙果先生の報告で分かりました。こんなことも本を読む楽しさがありますね。防火用の水桶は映画などではよく見るのですが???
 これも江戸の華と歌われた火災に対する庶民からの予防策だったと思われます。まさか幕府の施策だったのではないと思いますが、どなたか詳しいお方からのお教えを頂きたく思います