私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

げいしゃ家つぶれる

2011-08-05 08:22:35 | Weblog
 地震もどうにか落ち着いたのでしょうか、それでも1日に数回は起きていいたのでしょうが、人々もようやくその不安から解放され安堵した生活が出来るようになります。
 そのような中、人々は色々な噂を耳にするようになります。その一つを、「なゐの日並」では取り上げています。
 
 「四日五日のころ、池の端近きおすきや町辺のげいしゃ家つぶれたる。さならぬもにごり酒田楽など広小路に出店してひさぐ。髪を銀杏くづしにむすび、鉢巻し、緋の胴ぬきの下着に、たちつけはきなど花やかに粧ひ酌などもすれば、かようの世界にても、色好のみちは忘られぬものなれば、うつゝ心もなく買人いとおほしなど云」
 と。

 「さならぬ」は<どうもそうらしい>ぐらいのいみでしょうか?。芸者家が潰れたのですから、当然商売はできません。そこでそこの主人が考えたのでしょうか。何もすることが無くなった芸者衆を利用したのです。その方法がふるっています。
 まずやったことは、ふだんは芸者ですので、髪型は島田髷が当り前でしょうが、この時は、急遽、酒や田楽の売り子に変身するのです。芸者ではありません、普通の女の子になるのですから、この時は、如何にも若い普通の女の子のような銀杏くづしに結わせます。次に、ここの亭主でしょうが考えました。この子たちが出は芸者です。それを前面に出した商売にしなくてはなりません。そこで考え付いたのがこの商売を思い付いた演出家の凄腕だと思いますが。赤い胴ぬきの下着、たちつけはき?などど派手な格好をさせて、酒や田楽を売らしたのです。しかも、酌までさせたのですよ。心憎いばかりの商売上手と云うか、人の心を見抜くに長けた人の企画だとは思われませんか。時が時だけに、商売繁盛すること請け合いだと思います。そんな人が当時の江戸にもいたのかと感心させられます。こんな時、わざわざそんな事をしてまで稼がなくてもと云う批評家はいると思いますが、こんなことを企画して実行に移せるのも、亦、江戸ではないかと思われます。
 でも、その企画が大当たりしたのです。まあ、そんな時に人の度肝を抜くような芸者のど派手な恰好が評判を呼んだのでしょうが。もの好きというか、地震発生後四日なのですよ、色好みの男性が沢山あつまったと云う事だそうです。そのような人達を、仙果先生は「うつつ心もなく」と書いておられます。うつゝ心がなくではなくて、あったから多くの人が集まったのではないでしょうかね。
 さて、皆さんなどうしますかね????話の種に私だったら見学ぐらいには出かけていたのではと思っています。いくら年寄りでも、それぐらいな好奇心は、まだ、あるのではないかとおもいますがね。

      おかしいでしょうかね??????