借金「万両祝い」と銘打って、大々的に、自分の借金を宣伝の材料に使ったのです。その宣伝効果は上り、当時の人々の大変な人気を博します。そして、その上で行ったのが全国の親分さんたちを一堂に集めて大花会を、この宮内で催したのでした。
賭博ですよ。博打がお天道様がギラギラと輝いている平日にです、いくら幕府公認のご朱印芝居が出来た宮内で有ったとしても普通なら、天下のご禁制の賭博場がそんなに易々と堂々と開けるものですか。
この時代、賭博はテレビ等の時代劇においても、夜になってこそこそと役人に見つからないように裏長屋など人目に付かない秘密場所に於いてやるしか、その方法がなかった時にです。それが、この時代に、どうして堂々と全国に宣伝してまでも、宮内においては開けたのでしょうか。不思議ですね。それも文政年間という時代にですよ。清水の次郎長だってやったことはないのですよ。
なお、この時、宮内の熊次郎の所に駆け付けた全国の親分さんたちの名前の記録は何も残ってないのです。だからあの次郎長が、大前田の英五郎が、いや黒駒の勝造は来たのか来なかったのかは分かってはいません。私の推測では彼等の幾人かはその姿を見せていたのではと思っています。もし、彼等の幾人かが、この時、宮内に来ておれば、また、面白い物語が生まれていたのではないかと思われるのですが????
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