江漢は三泊した足守で、近くにあった古墳も見学しています、その一つが「備中下道郡南山の古墳 」です。
この古墳は「河邊の駅より南十三、四町南にはいる」とあります。
ここに描いている図が、江漢が見た南山にある古墳です。が、現在どこにある古墳かは不明です。
「墳の高さ七間半ばかりで、上のひろさ亘六間、中壇広さ一間半に、周り二四〇歩溝あり深さ六、七尺 埋もれて水なし。封疆(どて)高さ六尺 形楕 周四百歩余り所々壺を並べその数数千もありしか、今は二十余り残れり」
なお、この図の中に描いてある壺について説明書きが傍にあります。「壺の口径八寸、高さ一尺二寸、図のように半に帯があり素焼にして朱色なり」と。半に帯がありとありますが、多分円筒埴輪ではないかと思われます。「溝があり埋もれているが土手がある」と書いていますので。この古墳の周濠であったのかもしれません。形からすると、円墳のようであり周りに濠を持っていたのです。足守近辺にはこのような古墳かあったとは聞いていませんが????下道郡と云うのも河邊の駅というのも、足守から見学に行くほど近くはないのです。場所の名を間違って書いたのかもしれません。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます