6月の晦日(つもごり)です。お宮さんでは「六月祓」「夏越の祓」が行われます。
この大祓について。高尚先生はお書きになっておられます。
それによりますと。もともと、6月晦日の日に、宮中の縫殿寮より、荒たへの御衣(みそ)と和(にぎ)たえの御服を天皇に奉っり、それを、宮主中臣氏などが、この衣服等を着る人(天皇)の平安、ひいては国民の平安をも、お祈りした「荒和(あらにぎ)」の祓という年中行事だったようです。それが、いつしか「荒」という字と「和」という字から、意味を取り違えて
さばえなす荒ぶる神もおしなべてけふはなごしのはらえなりけり
と詠んだ人がいました。それから、荒ぶるを和ごすと言うお祭りになったようですが。本当は間違った、元々はなかったお祭りだったようです。
例の吉原では。この行事は特別には行われなっかようですが。捜してみると。吉原狂歌の中にこんなのがありました。
御祓する晦日しらずの居続も今朝は驚く秋の初風
と言うのが見つかりました。江戸年中行事には、各地で六月祓の行事はあったようです。
私事ひとりごと;
有職故実(宮中のしきたりの説明)と言う本にも、大祓については出ています。六月祓(みなづきはらえ)と言うのだそうです。未の刻に朱雀門前に、宮中の百官が集まり人形、散米、解縄を道の南に並べ、北には、馬を連ねて並べ稲四、五束をならべて、神祇官は細かく切った麻を撒き、祝師は大祓の祝詞を奏上する、と
なお、江戸幕府大奥の年中行事には、この大祓の行事は見当りません。
この大祓について。高尚先生はお書きになっておられます。
それによりますと。もともと、6月晦日の日に、宮中の縫殿寮より、荒たへの御衣(みそ)と和(にぎ)たえの御服を天皇に奉っり、それを、宮主中臣氏などが、この衣服等を着る人(天皇)の平安、ひいては国民の平安をも、お祈りした「荒和(あらにぎ)」の祓という年中行事だったようです。それが、いつしか「荒」という字と「和」という字から、意味を取り違えて
さばえなす荒ぶる神もおしなべてけふはなごしのはらえなりけり
と詠んだ人がいました。それから、荒ぶるを和ごすと言うお祭りになったようですが。本当は間違った、元々はなかったお祭りだったようです。
例の吉原では。この行事は特別には行われなっかようですが。捜してみると。吉原狂歌の中にこんなのがありました。
御祓する晦日しらずの居続も今朝は驚く秋の初風
と言うのが見つかりました。江戸年中行事には、各地で六月祓の行事はあったようです。
私事ひとりごと;
有職故実(宮中のしきたりの説明)と言う本にも、大祓については出ています。六月祓(みなづきはらえ)と言うのだそうです。未の刻に朱雀門前に、宮中の百官が集まり人形、散米、解縄を道の南に並べ、北には、馬を連ねて並べ稲四、五束をならべて、神祇官は細かく切った麻を撒き、祝師は大祓の祝詞を奏上する、と
なお、江戸幕府大奥の年中行事には、この大祓の行事は見当りません。
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