私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

水攻めと吉備津 1

2008-03-03 10:43:34 | Weblog
 秀吉の高松城水攻めの合戦で、吉備津との関わりを示す資料が3つほど見ることが出来ます。
 その一つは天正10年3月8日付の、信長からの書状です。
 それによりますと、蜂須賀彦左衛門と黒田官兵衛両名をまず備中宮内に派遣して、信長公の御書と御誓紙を吉備津神社の神主堀家掃部を通じて、高松城主清水宗治と中島大炊助の二人に送っています。

 この書状には
『この度西国成敗の為に羽柴秀吉などを差し向けております。、あなた方二名をかねてより正義の勇士と聞き及んでいる。この度の我意を受けて、毛利家に背いて我方に味方して欲しい。それについては秀吉によく言ってあるので、是非、相談して欲しい』
 更に、次のような文面を綴っています。(原文で)
 「 前書きの通りに偽りあらば
 「可ゝ蒙ニ日本国中大小神祇殊宇佐八幡大神宮天満大自在天神御罰-者也。如ゝ件」
 とあります。「嘘偽りを申せば、宇佐八幡宮や天満天神の罰が当るでしょう、だからに誓って偽りは申しません」という書状ですから。当然その使いが吉備津神社の神主を通した方がより信用度が高くなうのは当たり前です。そんな心理的作戦は黒田官兵衛がいたのですから落ち度はないと思います。

 まあこんな信長からの誘惑に対して、清水・中島二人の堀家掃部への返事が、又、言い伝えられ残されていますが、長くなりますので明日にでも。

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