平賀元義という人を探せば探すほと、その人の大きさと言いましょうか、物にこだわらない自分流に生きた本当の芸術家のように思えて仕方ありません。何か人間そのものを忘れなかったら、その追い求める物の本質と言いましょうか真髄が見つからないのかも知れません。人間が人間を邪魔するというのか、人間であったら本当の人間の姿か分からなくなってしまうのかも知れません。山頭火などもしかりです。
でもこんな元義すら「人間であった」という姿がかすかではありますが見ることができます。その例を2つばかりご紹介して、あまり長くなりますのでこの平賀元義を終わりたいと思います。
その1
彼も、また、人の子であったということからご紹介します。
それは彼の父親についてです。
彼の父は生前は中風を患い、足が冷えて困っていたのだそうです。そこで彼はその父の両足をいつも側に行って温めてあげていたといいます。そしてその父が死んでも、父の墓のある石井山妙林寺によく参り供養していたのです。
その歌も残っています。
・うえ山は 山風寒けし ちヽの実の
父の命の 足冷ゆらむか
また。児島郡にある父峰を見て読んだ歌に
・ちヽのみね ゆきふりつみて はまがぜの
さむけく吹けば 母をしぞおもふ
彼も、また、人の子なる故の歌です。人なのです
でもこんな元義すら「人間であった」という姿がかすかではありますが見ることができます。その例を2つばかりご紹介して、あまり長くなりますのでこの平賀元義を終わりたいと思います。
その1
彼も、また、人の子であったということからご紹介します。
それは彼の父親についてです。
彼の父は生前は中風を患い、足が冷えて困っていたのだそうです。そこで彼はその父の両足をいつも側に行って温めてあげていたといいます。そしてその父が死んでも、父の墓のある石井山妙林寺によく参り供養していたのです。
その歌も残っています。
・うえ山は 山風寒けし ちヽの実の
父の命の 足冷ゆらむか
また。児島郡にある父峰を見て読んだ歌に
・ちヽのみね ゆきふりつみて はまがぜの
さむけく吹けば 母をしぞおもふ
彼も、また、人の子なる故の歌です。人なのです
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