私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

吉備って知っている 23

2008-10-16 18:09:35 | Weblog
 天皇という権力を使って、田狭の絶世の美女妻を奪った雄略天皇とは一体どんな人物だったのか、書紀から拾ってみました。
 大悪天皇という渾名が付いているほどの、自分の思うことは必ずやるという自分中心の天皇です。人の妻を奪うなんてことは朝飯前のことです。
 この雄略には従弟の市辺皇子という人がいます。履中天皇のお子様です。ある時、雄略はこの従弟が帝位を狙っているのではと疑って、狩りを一緒にしようと誘い、その場でこの市辺皇子を弓で射殺しています。
 この天皇は生まれつき性質が獰猛で、人を殺すのを何とも思はないで平気でたくさんの無実の人を、兄だろうが、従弟だろうが疑わしきは総て弓矢で、刀で、また、焼き殺しています。「罪なくして死する者多し」と記されています。
 だから、絶世の美女と、ただ聞いただけで、その夫を遠く異国に派遣して、その留守に妻を奪い取るなどということぐらい朝飯前の罪の意識も何も無く平気で出来たのです。自分さへ良ければそれでいいもです。本当に大悪天皇そのもんのです。こんな天皇に自分の妻の自慢話を聞かれた田狭が、ただ運が悪かっただけなのです。だからこそ、弟君が田狭の言うことを聞いたのだと思います。その弟君を殺した妻の樟媛は雄略のまわし者「くのいち」であったのかもしれません。
 この「樟媛」を君臣として最も義のある古代国家の婦女鏡、烈女として崇め奉った偉い歴史の先生もいましたが、そんな大悪な暴君に仕えた田狭こそえらい迷惑なことだったのではないでしょうか。その先生は、この田狭事件を光栄ある吉備国の歴史の一大汚点していますが、甚だしい歪んだ歴史への挑戦だと言わざるを得ません。さすが吉備だと自慢してもよいような話だと思います。
 この悪女「樟媛」の出自がどこであるということが分からないと、書紀に書かれているだけでも幸いです。「吉備〇〇別の出身だ」とも書いていようものなら恥の上塗りになりますもの。


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