私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

百先生と後楽園

2009-12-04 10:12:22 | Weblog
 明治の20年代の世相を垣間見ることが出来ますので、明治27年にでた「後楽園縦覧規則」をちょっと覗いてみます。 まず、1条ですが、これは後回しにして、2条から見てみます。

 2条;園内に車馬輿轎等を乗入る可(べ)からず。
 3条;家屋又は範囲を設け足る場所には特に許可を得たるものに非らざれば立ち入ることを得ず。
 4条;家屋外に於て飲食又は遊戯遊芸を為す可からず。
 5条;園内に放養せる鳥類を玩弄又は駆逐するべからず。
 6条;火を炊き火技を弄し又は家屋接近の場所に置いて喫煙すべからず。
 7条;土石を掘採し樹木を折傷し花果を摘取すべからず。
 8条;魚鳥を捕獲し又は泉池其他瓦石等を擲つ可からず。
 9条;便所の他に於て大小便をす可からず。
10条;左の記載の者は縦覧を揺らさず
   1、犬を牽きたるもの
   1、園地を荒し又は危険発臭等の虞ある物品を携帯するもの
   1、乞食若くは之に類する風体のもの

 どうですか。これらは、現在でも、そのまま少し言葉を平易にすれば、どこでも見られる見学のための諸注意書きです。喫煙のことでもそうです。
 勿論、乞食うんぬんを除いてはですが。又、9条の便所の件は、今ではこんな注意書きをわざわざ書かなくても、こんな不道徳の行為をやらかすような日本人は皆無ですから、どこの施設に行っても、こんな注意書きを特別に書かなくてもよいのです。でも、ときどき国会議事堂の外の庭で、しゃーしゃーとやるどこかのお偉いさんが居ると云う噂は聞いたことがありますが? ここに9条を掲げられたと云う事は、当時はだれでも、男でも女んでも、どこでもシャーとやらかしていたのではと思います。女がとお思いでしょうが、そうです女もです。考えられますか。これについては、又、いつか「小便公方」と呼ばれた将軍のことを話す機会でもあればと思っています。

 さて、そんなんことはどうでもよいのですが、もったいぶって最後に回した1条です。こんな文言は現在どこの施設でも見ることも聞く事も出来ないような珍しい言葉が並べてあります。その1条を

  「縦覧時間は日出(にちしゅつ)以後日没前を持って限りとする」
 とあります。

 どうです。何時からなんて窮屈な時間設定はしていません。ごくごく当たり前な人々が活動できる時間によって縦覧することを認めたのです。即ち、日の出と共に開いて日没と共に閉めるです。誠に、悠長な時間に束縛されないお天道様が空にある時にです。夏は長く、冬は短く縦覧することが出来ます。人を大切にした考え方に基づいています。

 この時間設定に甚く興味を示したのが、あの頑固を絵にかいたような偏屈リンの誠に愛すべきおやじ、内田百なのです。そして後楽園にあった小さい時から慣れ親しんできた「日没閉門」を、彼の日常の生活の中で実践したのです。
 後楽園のすぐそばで生まれた彼が、何時も、目にしていたこの「日没閉門」という門札と「世の中に人の来るこそうれしけれ とは云うもののお前ではなし」という張り紙と一緒に、東京の自宅で、死ぬまで使っていたことには間違いありません。 
 これもまた、誰も言わないのですが、後楽園と百の面白い関係だと、私一人でほくそえんでいます。

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