私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

後楽園の日出以後日没前について

2009-12-05 17:00:26 | Weblog
 またも、例の飯亭寶泥氏からメールが届きます。

 「百が、後楽園にあった規則を若い時から見ていて、それを真似て東京の自分の住まいで使ったとかなんかと、偉そうに書いていたのだが、そんなことに影響されるようなへなちょこな先生ではないよ」
 と、これ又、手厳しいご指摘です。
 彼の言うには、鳥は日が西に沈むと塒に帰り、朝日と共に飛び立ち一日が始まる。動物は総てこれと同じだで、「人間もその例外に有らず」なのだそうです。それを自ら実践していた百だからこそ「日没閉門」という言葉が生まれたのだ。決して後楽園の規則を見習ったわけではないと。

 なるほどそうかもしれませんが、私には、後楽園の規則が、百の頭の隅かどこかにあって、それがこの「日没閉門」という言葉につながったように思えて仕方ないのですが???

 なお、余談ですが、この「日と夜」について詳しく科学的に述べたのが、津山出身の箕作省吾の「坤輿図識補」(弘化3年出版本)です。地軸が23.5度傾いているとも書いてあります。
 
 勿論、こんな本ぐらい百はとっくに読んでいて、日没の意味は十分知っていて、それにも多少影響されたのではないかとも、寶泥氏は云うのですが。

 なお、これも彼に指摘されたのですが、現在でも、この日出日没は生きていて開園時間は夏と冬では違いがあるのだそうです。兼六園でも、やはり時間差を設けていますので、ここでも昔は後楽園と同じく「日出日没」を使ったのかもしれませんね。そうだとすれば、特別珍しいものではないようです。
 寶泥氏が言うように、百の素直な言葉だったのかもしれませんが、その後にある「お前ではなし」に引っかかる所があるように思えてならないのです???

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