私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

内田百の「日没閉門」という掛札と後楽園

2009-12-03 09:18:39 | Weblog
 昨日の山陽新聞に内田百の東京の家の門柱に掲げられていた木札の記事が出ていました。
 
    

 そこには写真のように「日没閉門」と書かれた木札がいつも掲げられたと云う事です。
 この「日没閉門」という言葉は、百が、ごく小さい時分からよく目にしていて、「之は実にいい、面白いな」と、何時も見ていたのではないかと思うのですが?

 さて、後楽園は江戸期には「茶屋屋敷」又は「後園」と呼ばれていましたが、明治4年に今の名前「後楽園」と改めていますが、所有は、依然として旧藩主池田家のものでした。それが、明治17年になって、池田家から岡山県に譲渡され、広く県民の公園としてに公開されたのです。

 その時、次のような掲示が、この門の前に張り出されたのです。
 「後楽園に遊ばんと欲せば先ず其心得を知らざるべからず・・・・・・・・斯園に遊ぶものの便に供せん」

 何といかめしい言葉でしょう。まだ官尊民卑の先端を行く世の中なのです、明治17年にもなっているのです。

 そして、この次に「後楽園縦覧規則」なるものを掲げます。10条に渡って細々と規則を掲げております。その中に「日没」という字が見えます。    

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