私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

おせん 2

2008-03-27 09:27:49 | Weblog
 そんな古い宮内の旅籠を大阪の豪商舟木屋が定宿に指定したのは、ある時、舟木屋の先代が、偶然、この宿に泊まり、其処に掛けてあっら円覚大僧正の軸を契機にして、ここの亭主と旧知の仲のように親しくなり、それが契機となり、それ以来ずっと使っているのだそうです。
 また、この宮内の隣の板倉には、両替屋や飛脚などの施設も整い、山陽道の要の場所にあり、商売上の便もいたってよかったということも、この宿を定宿とした見逃すことが出来ない条件だったようです。
 そんな訳で、この宿を基点として平蔵は備前や備中などの綿の買い付けをしていたのです。
 始めの内は、毎年使っていただくごくごく普通の大阪商人のお客さんでありました。
 春の吉備津神社の大祭か何かの折でした。お江戸では老中水野さまが蟄居を命じられて、芝居なども再び自由に見えるようになった人々が喜んでいるという噂がこの宮内にも届いてきます。
 この宮内でも、その年の3月、4年ぶりに江戸から嵐門三郎らの花形役者を迎えて宮内芝居が興行され、街は上へ下への大混乱の様相です。
 そんな大混乱の中で、沢山の客の接待でごった返しておる立見屋に今年も平蔵が宿入りしたのでした。
 もう毎年泊まっているので慣れているとは言え、いつも愛嬌のいい応対をしてくれる仲居のお日奈さんもなかなか顔を見せません。宿中にお客の声でしょうか、なにやら大声が此処彼処から響き渡っています。そんな大声の中に宿の女でしょうか足音もばたばたと家中をゆすっています、喧騒以上の大騒ぎのです
 「聞いてはいたが、凄まじいものだな」
 と思うも、自分まで何かいらいらした気分に掻き立たれます。そんなもやもやとした落ち着かない気分がどのくらい続いたでしょうか、
 「ごめんなさいね」
 と、一人の見慣れない襷掛けの女が障子をゆっくりと開けて、畳に手を付き、あいさつをします。
 「お日奈さんかと思った」
 と平蔵が言う。


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