私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

吉備の黒日売

2011-01-28 16:40:05 | Weblog

 一寸長たらしくなりますが、この黒日売について、感心のないお方には、興味がないかも分かりませんが、暫らく追ってみます。吉備を語る時には、どうしても切り離せない歴史的な事件なのですから。

 さて、仁徳天皇の厚い情を受けた黒日売です。分かってはいたのですが、どうする事も出来ない妥女という自分に置かれた運命を嘆いた事でしょう。大后の嫉妬(ねたみ)が如何なるものかさへ分かりません。そうなると、石日売命のいる宮中から一刻も早く逃げださなくては、自分の命さへどうなるかも分かりんせん。幸い自分は吉備海部直の娘です。親は瀬戸内の海の支配者です。難波津のすぐ傍にあった難波宮に居る自分の娘「黒日売」を、すぐさまに連れ出すことぐらい朝飯前の訳ない事です。船に乗せて吉備の国へと出船します。
 その様子を次のように古事記には書いてあります。

 「然畏大后之嫉逃下本国」、 “しかれども そのおほきざきの ねたますを かしこみ[畏]れて もとつくにに にげくだりにき” と読ましています。つづいて「天皇坐高台望瞻其黒日売之船出浮海以歌曰」と。これを(すめらみこと たかどのにましまして そのくろひめの ふなでする[船出浮海]を みさげ[望瞻]まして うたひたまわく)

 天下万民を統治なさる天皇です。何とだらしない一人の女性をも自由にできないなんてしょうもない男だ。身の安全を慮って、密かに国に帰ろうとする自分の女を留めることも出来ないで、唯、黙って高台に坐って、その船出を見送るしかできないような、本当に、つまらない男らしくない天皇だと思われてもいたしかたないような女々しい行動です。
 こんなことが、堂々と、日本の正史に出ているのですから、この古事記の面白さがあるのでしょうが、そこがこの天皇のいいとこでもあったのでしょうか。
 此の事件のすぐ前に書かれている天皇の記事が、高山に上って百姓の家々いから煙が出てないのを見られて、3年間も租税を免除したことです。その仁政を受けての、この誠に情けない様です。
 これって何でしょうかね。「仁徳」という天皇の御名を強調した為にわざと稗田 阿礼が書き綴ったのでしょうか。ここに書かれて史実は、書紀にはありません。だから、余計に、そんな思いがします。たとえ、女性一人といえども、その人権を擁護した徳のある天皇だという事を、特に、訴えるために作り上げられた史実であったのかもしれませんが。
 

 まあともかくとして、高山と云い、この高台と云い、随分と高いところが好きな天皇であったのでしょうかね。続きは、又、明日にでも。
 

 
 


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