私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

障子

2007-09-29 14:49:29 | Weblog
 『松屋文集』に、「そうじに松の影のうつりたるなどさながら絵にかきたるようなり」と言う文があると、先日紹介しました。
 この「そうじ」という詞を「松の落葉」では、解き明かしておられます。
 「しょうじ」は、昔はへだてものをするものをすべて言ったようです。『障子』です。
 「かみしょうじによべの御ぞなんかけてさむらいつる」という文もみえ、ごく最初は、ついたてのようなものだったそうです。そんなものに紙を張ったのが「かみしょうじ」で、中でも、唐(中国)の紙を張ったのが、「からかみしょうじ」と呼ばれ、特別に大変珍重がられたという事です。あかりとりのために使ったのが今の「障子」で、ものをへだてるためにつかったのを「からかみ」と呼ぶようになったということです。

 私事(ひとりごと);
 「襖」を「からかみ」とも呼んでいたようですが、そのことについての言及はありません。
 つらつら考えるに、当時「からかみ」は中国(唐)からはるばる渡ってきた紙です。大変重宝がられ、「私の家ではこんな贅沢な紙を使って<しょうじ>にしているよ」と、大いに人に見せびらかせ、自慢したのではないでしょうか。その昔の名残として、更に絵なども、これに書き加えて(襖絵)より一層豪華なものして、書院と呼ばれる建築様式が生み出された室町ぐらいから、特別に設えさせたと考えられます。
 襖とは、本来、中国では女性の服を表すのに使われた言葉であったようです。それが日本では、ついたてにかけてある服等から、物をへだてるための「からかみ」と「襖」とが同一のものにして呼ばれるようになったのです。
 この「からかみ・ふすま」は、西洋のドアーとは、一寸その用途が異なるだけではなく、考え方にも大いなる差異があったのです。
 「からかみ」は、ただの出入り口ではないのです。
 日本には、昔から、ものの境目には常に神様がいて、その場所を護ってくれているという考えがありました。だから、この部屋の境目にある敷居にも当然神様がいます。だから、「からかみ」の開け閉めにも膝を突いて両の手で丁寧にしかも慎重に開け閉めしなくてはならないのです。また、「神様のいる敷居は決して踏むな」と、小さい子供にもしつけていたようです。足で開けるなんて、とんでもない無作法になるし、敷居の神様に対しても無礼になるのです。
 こんな考えかたは、今では、「非科学的だ」、やれ「迷信だ」だのとののしられて、我々の生活の中から、どんどんと、どこかへ飛んでいってしまています。科学的だということだけで、家で生活できる喜びや、自然に対する感謝の念が打ち消されてしまっています。それがどんな影響を及ぼすことも忘れて。
 

 まあ、それは兎も角として、先生のご本をこうやって読んでいきますと、この先生の読書量の多かったことにもまた驚かされます。どの書物の、どういうところに、どう言い表しているか総て調べながら、われわれの身の回りにある総てのものに感謝しつつ物を見極め、そして、お書きになっていると思われます
 なんて「すごい」お人だろうと、改めて、高尚先生に敬意を感じずにはいられません。

 

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