私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

高尚の中山尚歯会

2012-12-02 19:51:58 | Weblog

 此の高尚は、面白いといっては誠に失礼ではありますが、雅と云ってもいいかもしれませんが、そんな会をこの宮内で始めています。

 それは「中山尚歯会」という集まりです。

 この尚歯会の尚歯というのは(「尚」はとうとぶ、「歯」は、年歯、年齢)、老人をたいせつにし、うやまうこと、敬老を意味し、要するに、老人の老後を楽しむための文化的集まりをそう呼んでいるのです。要するに、地域の教養人による「敬老会」です。この尚歯会は普通、最高齢の主人を含む7人の高齢者が招かれ、あるいは集まり、詩賦、あるいは和歌を作り、音楽歌舞を楽しむための遊宴の会なのです。もとは845年中国)で白居易が催した故事が起源だそうです。日本で最初に行われたのは平安時代の中ごろからだそうです。
 
 そんな会を、宮内でも高尚は始めています。
 集まった人は、記録によりますと、真野竹堂(80歳)・河本宣易(76歳)・藤井高尚(72歳)・岩月白樺(70歳)・藤井高俊(69歳)・藤井重政(66歳)・堀家常定(65歳)の7人です。この7人が吉備の中山の麓にある藤井高俊の家に会して、和歌や日本の古典についても、更に、日本古来から取り行われている能や歌舞伎などの芸能など日本文化についても幅広くとりあげて、宮内における雅の世界をサロン的に展開させたのだと言われています。しかし、その場でどんなことがどれほど深く話し合われたのは不明です、開催された回数もごくわずかであったようで、其の中で高尚の和琴も演奏されたことは間違いない事だと思われます。この会が始まったのが天保6年だということは分かっていますが、その後いかほどの回数で、何時まで、この会が存続したのかも今では全く不明です。なお、高尚が死去した年は天保11年ですから。

 でも、こんな文化的な臭いのする優雅な会が備中宮内と云う日本の鄙の片田舎でも行われていたのです。岡山でも行われたということは聞いてはいません。それぐらい藤井高尚と云う人は文化的教養の高い人だったのです。