昨日書いた熊治郎の石碑ですが、<治>の方が正しいとは思いますが、それを確かめるべく庭瀬の松林寺へ、早速、今日は暇なものですから出向いて調べようと思ったのっですが、生憎朝から雨です。またの機会に調べてみようと思いますのでそれまで少々この件については書くのをやめます。
なお、此の熊治郎ですが先の位牌によると、嘉永五年と書かれていますから、生まれた年が安永七年だとされていますから七十五才の生涯であったのです。任侠の世界に生きたにしては随分と長寿だったようです。
昨日書いた熊治郎の石碑ですが、<治>の方が正しいとは思いますが、それを確かめるべく庭瀬の松林寺へ、早速、今日は暇なものですから出向いて調べようと思ったのっですが、生憎朝から雨です。またの機会に調べてみようと思いますのでそれまで少々この件については書くのをやめます。
なお、此の熊治郎ですが先の位牌によると、嘉永五年と書かれていますから、生まれた年が安永七年だとされていますから七十五才の生涯であったのです。任侠の世界に生きたにしては随分と長寿だったようです。