私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

強かな熊次郎親分

2012-10-12 09:23:45 | Weblog

 ご禁制の博打をです。お日さんがお天道様の真上にある時分から堂々と開くのですから吉備津神社の社領にあるとはいえ、普通なら決して出来ない品物なのです。法を破っての行為と言うことには違いないことです。この宮内の警護には庭瀬藩も幾分関わっているのです。藩も名誉にかけてそんな違法行為が行われているみすみす見すごすことなどできるはずもありません。でも、それを可能にするには、庭瀬藩や江戸幕府等の役人が取り締まることが出来ない何かがあればいいのです。平安の不入の制があればいいのです。それを可能にする手立てとして、熊次郎が目を付けたのが、昨日書いた。高尚の「松の落葉」の中にある「・・おのが家は・・・」トいう行です。

 要するに、当時、幕府でも手を付けにくかった公家、それも藤原氏です。この藤原氏も吉備津彦命と共通の神祖「天児屋命」を頂いているのです。江戸期にはいると、藤原鎌足を祖先とした近衛殿と九条殿があり、この二家からわかれた鷹司殿・二条殿・一条殿はあり、この五家を摂政家と呼び、臣下として最高の地位にいたのです。更に、この五摂家下には久我・西園寺・三条・徳大寺などの九家があり、御華族と呼ばれておりました。

 熊次郎はどのようにしてこの摂家と関係をもつようになったのかは分かりませんが、摂家の中でも最高の地位にある九条殿と結びつきその配下になるのです。

 ある時その娘さんが語ったと伝えられる熊次郎伝によると、彼は「男っ振りがよく、話術が巧みであった」とありますが、その話術を使って、言い方が変であるかもしれませんが、下世話的に言うと、九条家の執事でも丸めこんだのかもしれませんね。
 どうでしょうかね。そうでなかったら、それまで何らかかわりのなかった九条家と繋がりを持てること自体が不思議な事だと思えるのですが???