私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

根白で

2011-11-11 20:25:43 | Weblog
 1611年12月3日、ビスカイノ達は、高台にあった為、津波の被害に遭わなかった「根白」の村に宿泊します。村人に、「これから、更に、北ないし北西に進むと何処に行くことができるのか」と、尋ねます。すると、彼等は

 「更に進んで二国あり。第一は南部殿、又一つは松前殿の所領なり。土地は甚だ広大にして三十日以内に国の終端に達すること能はず。又、両国を過ぐれば海岸は西に転ずと言えり。又此の国の端より高麗(Coria)の端に到るまでの距離は短く六十レグワ以内にして、韃靻に至る前の海峡に大なる島あり「蝦夷」と称し。生蕃の如き人民居住し・・・」

と記されています。

 此処に書かれています「生蕃」というのは未開地に生活する野蛮人という意味のこれも差別語だと思いますが、敢て、その言葉を取り上げたのは、この時代は、まだまだ人種差別の意識が激しく、このような公文書にも、前述の「土人」と同じように、平気でこんな差別語を使っていたという事を知ってもらいたかったのです。今の世界とは雲泥の差がある事を。

 なお、この「生蕃」という言葉には未開な状態にある人々の生活程度の低さゆえに卑下した先進国の高慢さが見え隠れしているように思われます。日本でも戦前までは、台湾にいた高砂族等を平気でこのような差別言葉を使って呼んでいたのではと思われます。

 また、この文章の中に「韃靻」「蝦夷」などの地名が出て来ますが、果たして、此の地は何処にあったのがよく分かりません。蝦夷は北海道だろうと思われますが、韃靻は何処にあったのかよく分かりません。サハリンかとも思えるのですがどうでしょうかね。『韃靻に至る前の海峡に大なる島あり「蝦夷」と称し』という文章から、皆さんはどう判断されますか。
 もう一つ分からない事があります。一レグワというのは5.6kmだそうですが、それを基準にして南部藩、又は、松前藩の端から高麗(Coria)までの距離が60レグワというのも、どうも理解しがたいのですが。そんなに近いはずがありません。少々見当外れのようですね。まあ17世紀という時代がそんなところでしょうが。