私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

政宗という武将の勢力

2011-11-01 10:13:09 | Weblog
 ビスカイノは政宗侯の狩猟の様子を紹介していて、その技術は見物であると書いています。でも、どのようにして捕ったのか、其の手法は詳細に記されてないのが残念ですが、家士や農夫を百万人の動員して追い出したイノシシやシカなどの獣が、あたかも羊のような群れをなして出てきて、それを鉄砲や思い思いに手で捕えたと書かれています。

 このようにたかが伊達政宗の鹿狩りとはいえ、百万という数は、まさかとは思うのですが、そんなものにでもそれだけの人数がそろえる事が出来ると云うことは、彼の勢力の大きさを物語るものだと思われます。将に東北の王の力といっても言い過ぎではありません。この報告書には、更に、彼の力を次のように記しております。

 「王の勢力は甚大にして六日の内に騎兵三萬歩兵二十萬を集むることを得べく国内に多数の城あり諸人に給与し之を満足せしめ・・・」
 とあります。仙台伊達藩は六十二万石の大大名でした。此処にいう「勢力甚大」というのは間違いない事だと思います。六日間で20万ぐらいの兵力を集めることぐらいたやすい事ではなかったかと思われます。

 更に、ビスカイノは此の伊達藩の政治仕組みについても

 「政治は正しく、怠惰及び不行跡を悪み、既に述べたるが如く我が基督教に心傾き、その収入は一千萬を超えたりという」
 と書かれています。中でも「我が基督教に心傾き」ということが本当であったのかは疑問には残るのですが、このビスカイノ達一行を歓待したことは間違いありません。そして、これが契機となって、1613年、慶長13年に伊達政宗は家臣の支倉常長を、西回りではなく、東周りの太平洋を横断して大西洋を経由して、ローマ法王の元に遣わします。それは、イスパニアとのビスカイノを通した、この時の友好が影響しているかだと思われます。