私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

越喜来にも、又々、大津波が

2011-11-06 09:10:32 | Weblog
 「越喜来」。こんな名前の町を御存じですか。「おきらい」と読み、大船渡市にあります。此の地も「盛」同様に、今回の津波によって甚大な被害を受けた町なのです。

 この「越喜来」は、1611年の「ビスカイノ金銀島探検報告記」の中でも、慶長三陸地震の大津波の被害にあったと書かれています。此の地を彼が訪れたのはその年の12月2日だったのですが、その時のこの村の様子を、次のように書いています。

 「又一の入江を有すれど用をなさず。此処に着く前住民は男も女も村を捨てて山に逃げ行くを見たり。是までの他の村々に於ては住民我等を見ん為め海岸に出しが故に、我等は之を異とし、我等より遁れんとするものと考え待つべしと呼びしが、忽ち其の原因は此の地に於いて一時間継続せし大地震の為海水が1ピカ(3m89cm)余の高さをなして其境を超え、異常なる力を以て流失し、村を浸し、家及び藁の山は水上を流れ、甚だしき混乱を生じたり。海水は此間に三回進退し、土人は其財産を救ふ能はず。又多数の人命を失ひたり。」

 と。

 この地震は午後五時に起きて、其の時ビスカイノ達は丁度海上にいたので助かったと書いています。彼が書いているように、この地震による津波の高さは4m位だったようですから、今回のものより小さかったのですが、それでも多くの人命が失われ、家も何もかにも海上に漂い、海は藁の山であったのです。
 これは、今回の津波の報道からも分かるように、家等辺りにあるものは、総て、猛烈な勢いで押し寄せたた波によって粉々に壊され、恰も藁屑のようなり、引いた海の上を漂っていたのだろうと思われます。その光景を「家及び藁の山は水上を流れ」と記しているのです。それぐらい、この時の、ここ越喜来を襲った津波の激しさを物語っているのだと思います。

 1611年12月2日の陸奥地方を襲った地震の記録から考えられる震度は、大体M8.1程度だっと多くの学者は推定していますたようです。
 また、この時の越喜来に押し寄せた津波の高さをビスカイノは「一ピカ」と書いていますが、これも、今回の地震から分かったのですが、地形の関係で発生する津波の高さは、その土地土地でまちまちだそうですが、慶長三陸地震による津波は、場所によっては20mを越えたと書いている文献もあるとか?

 なお、今回の越喜来の津波の高さはいくら位だったのでしょうかね。又、此の津波の為にお亡くなりになった人の数もどのくらいだったのでしょうか。半年たった今、そこには痛ましい数字がきっとあるに違いないと思いながら、それらの人達の御冥福を祈りつヽ、改めて、心痛な思いで、この文を書き綴っています