私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

「久漏邪夜能」の論争。これって何でしょうかね

2011-01-29 09:46:13 | Weblog

 仁徳帝は、難波津よ船出すく黒日売を、宮中の高台に上って、見送りがてら、お歌いになられます。その歌の中に

 「久漏邪夜能摩佐豆古和芸毛」というのがあるのです。この言葉を柱か何かの陰からお聞きになった石日売命は、たちまちにあのものすごい妬みが心の中に湧きあがってくるのを覚えます。

 此の中、今日は、まず、「久漏邪夜能」につい書いてみます。
 これを本居宣長は、(くろざきの)と、読ませています。「久漏」は黒日売に関わった黒だとしています。この黒日売の帰って行った郷「黒崎」ではないかというのです。そして、この「久漏邪夜能」について、とてももしろい結論付けをしていますので、それもご紹介しています。

 久漏はくろで、即ち、黒ですが、次の「邪夜能」について、邪という字は「都」の間違いで、夜能は上下の誤りで能夜で、更に、邪夜は都良の誤りであって、結局、この「久漏邪夜能」というのは「久漏都良能」、{黒津ら之」という意味だとして、この「久漏邪夜能」を(くろさきの)と読ましているのです。 黒津という所は吉備の国にはないのだがとう事を踏まえて、敢て、これを(くろざき)と読ましているのです、この黒崎という所は、倉敷市の玉島や中庄にありますが、宣長は玉島の黒崎を念頭に置いてこの説を唱えたらしいのです。

 なお、契沖は、この「久漏邪夜能」について、「久」は「文」を誤ったもので、(もろざやの)、即ち、「諸鞘の」という意味だとしています。しかし、現代の学者は、ほとんどの人がこれを素直に(くろざやの)、即ち、黒鞘と読んでいるようです。これも念のため。