私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

足母阿賀迦邇嫉妬

2011-01-26 14:38:37 | Weblog

 しばらくお休みいただきましたが、又再開します。

 この仁徳天皇の后「石之日売命」については、日本書紀には何も書かれてはいないのですが、古事記には、如何してか、これも不思議なことですが、詳しく説明がなされています。
 
 「足母阿賀迦邇嫉妬」について、本居宣長の古事記伝には
 足搔貌(あがくさま)にして、足磨りなどしたまう貌(さま)を云るなり」とあります。万葉集にも、『立乎杼利 足須里佐家婢 伏仰 武弥宇知奈気吉(たちおどり あしすりさけび ふしあおぎ むねうちなげき)という例があると説明しています。

 要するに、我が夫が、例え妥女であったとしても、女性と付き合うなならば、后は、じだんだふんで怒り、その天皇の恋人の女性に対して、ものすごい嫉妬心を起こし、とんでもない仕打ちをするというのです。それが「足母阿賀迦邇嫉妬」なのです。

 そんな噂を知ってか知らずか、多分、黒日売はどうしようもななかったのだと思います。吉備の国から天皇に差し出された女性だったのです。拒否することもできません。天皇のお側に仕えていたそれら地方からの献上された女性たちは、天皇と顔も合わす事がないように、十分に、気をつけていたというのです。そのために「不得臨宮中」、(みやのうちをも えのぞかず)ようにしていたのです。もし、天皇との関係があったとする噂でも立とうものならば、それこそ、大后のどのような仕打ちを受けるか分かりません、命あってのものだねです。多分、宮中に侍っていた女官たちは、戦々恐々と、天皇からお声がかからないように、息をひそめる様にして、気をつけて仕えていたのだと思います。
 この辺りの面白さは、古事記に若くはなしです。大后であっても、やはり女性です。今の世とひとつも変わりありません。人の持つ性と言いましょうか、そんなものがいっぱいに、遠慮会釈もなく正史の中に、堂々と描き出されています。

 そのように注意深くしていたにも関わらず、天皇の目にとまった非常にあでやかで、誠に秀麗なる女性がいたのです。その女性こそ我が吉備の国が生んだ歴史的な超美女の一人であったのです。