私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

長嘯子とお竈殿

2011-01-13 10:31:38 | Weblog

 長嘯子は神主の家に泊まった翌日は、「雨そぼふりければ、ゆきもやらず」ということで、吉備津神社に詣でています。

 「火たきやに、釜ふたつならべすゑおきたりける。其かまひとつ神供をととのふる毎に、おびただしくなりどよむよしをききて、のぼみはべりける。まことに、いかづちなどのように、しばしとろろきてきこえけり。これぞ此神秘となむいひつたへし」

 と、あります。

 「その写真を見せてくれ」と、云うメールを頂きました。しかし、ここは撮影禁止の張り紙があり、みだりにカメラを持ちこむことができません。まして、その撮影ともなれば不可能な事だとあきらめていましたのですが、特別の許可があれば撮影が出来るのだという話を聞き、今朝、早速、神社に参り、神主より、直接、特別の許可を頂き、たった1枚だけですが、その写真を写してきましたので、ここに披露します。

             

 「釜ふたつならびすゑおきたる」と云うのが、この写真にある左右に据えてあるお釜のことです。「神供をととのふる」と云うのは、右側の甑の中に、ここに仕えておる阿曽女が、搔笥(かいげ)(曲げわっぱの一種)の中に玄米を入れて揺り動かすことです。その時、釜の中からなんとも不思議な音が出てくるのです。地中に埋まっている温羅の髑髏の発する唸り声だと言われてきました。この声を、長嘯子は「いかづち」のようだと形容して、さらに、その鳴る音は、まさに、「神秘」以外の何ものでもないと、説明しています。

 これも我が里に伝わる古い物語の一つなのです。長嘯子が見たお竈殿は、ここに現在あるものよりは前にあったものだと思われますが、それがいかなる形であったかは分かりません。写真に見るような現在のものは、慶安17年(1612年)に安原知種によって造り直されたものです。

 なお、このお竈殿の原型は、室町時代の武家屋敷の厨の形がそのまま取り入れられているという話を聞いたことがありますが??????。