私の町 吉備津

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司馬江漢の画図西遊譚と足守

2011-01-15 14:14:14 | Weblog

  天明8年に九州まで旅して、その道中記を記している江漢ですが、我が町吉備津にて「奇なり」とした吉備津神社のお竈殿を見た後、北二里ばかりの所にある足守に、木下侯を訪ねて行き、そこで3泊しています。木下侯と知り合いになっていたのでしょうか。御用絵師ではなかったはずですが。

 この足守にいた4日間、江漢はその周辺の場所を歩きまわって、見たり聞いたりした事について絵と文で、かなり詳しく「画図西遊譚」に記しています。これにも、ちょっぴり興味がそそられましたので、またまた、例の横道にそれて、その記事を追います。
 
 この足守へ着いた江漢は、木下侯が未だ御帰着しておられなかったと云う関係で、用人黒宮氏と云う人の家に泊っていますが、その人の家の庭に置いてあった、径2尺ばかりの古い礎石について、足守での見聞の第一に取り上げて書いています。この石は溝手にあった賀陽寺の古跡から取って来たもので、千年はゆうに経っている石だとか。現在でも、足守にあるのかどうかわ分かりませんが、江漢には相当珍しく写ったのではないでしょうか。 
 また、この黒宮と云う人は、足守から1里ばかりの所に柏井という云う処に雪が降っても積もらない田の中の場所に湯治場を設けて、多くの人も利用していると書いています。この柏井の湯治場と云うのは、現在のす「粟井温泉」の事だと思われます。
 その他、この四日の間に江漢が訪ねた、足守近くの名所として、「岩石数十丈えて飛泉あり」と書いているお瀧で名高い龍泉寺、そして続いて、「鬼城があり石を以て柵を作り、そこに鬼の釜がありその口径八,九尺あり」とある鬼城も、また、どうして、ここにその名前があるのか分からないのですが、到底、そこまでは足を延ばすことは不可能だと思われる真庭市上水田にある鍾乳穴(かなちあな)についても記されています。

 なお、此の時の江漢が訪ねて行ったのは、足守藩主は第八代木下利彪(としとら)と云う人のようです。

 この人の事についての資料には、“文化的な事に力を注ぐ”藩主であるとしかなく、どうして、あの江漢と関係があったかなど一切が不明です。