私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

矢立の神事その2

2011-01-07 16:52:43 | Weblog

 この矢立神事について、更に、細かく調べておりますと、次のような事が分かりましたので、ご紹介します。もう、吉備津に住んでいる人でも、ほとんどの人が知らない昔からの言い伝えだという事です。
 それによると、藤井俊先生の「御蔵矢神社」に相当する神社は「桜谷神社」と呼ばれていて、この神社は吉備の中山の中腹にあり、おもしろい事に、世の中に何か異変があれば、必ず、此のお宮に自然と矢が現われて、人々に難を避けるようにと、お告げがあるというのです。どのような災難かは分からないのですが、平生から注意して暮らすようにと予告してくれるのです。

 「吉備津彦命と弓」、「温羅と石」、それを結びつけるような矢立の神事、何か特別な曰く因縁が、この中にはあるように思われて仕方ありません。
 江戸の昔には、この矢立神事の後に、矢置石に上に乗せた矢を、本殿の中に祭ってある艮御崎神社に備えていたというのです。これなども、どう考えても理屈の通らない事のように思えるのです。
 なお、今は、写真のあるように、空高く放った矢を回収して、艮神社に供えることはしていませんが、鬼である温羅に何故、祭りの後の弓を供え祝詞を上げるのかも、思えば摩訶不思議な事です。どうして、当時の吉備の国の人々に相当な悪事を働き困らせていた鬼に、一体、何をお願いしていたのでしょうかね。
 この神事は明治以降しばらく途絶えていたのですが、今のような姿になったのは昭和35年からだという事です
 
 そのような事を考えてみると、もしかして、温羅の本当の姿は、鬼ではなく、吉備の国の人々に福をもたらしていた、吉備津彦が来る前の、吉備の国の支配者だったのかもしれませんね。だから、何が不吉な事が起きると、吉備津彦命よりも、何に付けても、まず、この温羅に願いをかけたのではないのでしょうか。それがどうして鬼になったのでしょうかね。
 こんな事を言うと、吉備津神社信仰の人に怒られそうですが。

 

 こんな不思議な言い伝えが、まだまだ、たくさん残っている吉備津です。