私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

書を繙ず

2010-01-29 17:39:38 | Weblog
 正保二年(1646年)、伯継が岡山藩主光政侯に招かれ、三百石を賜っています。
 それから三年間は専ら心を練って、書は一切開かなかったのだそうです。だからではないと思いますが、人々は熊沢伯継に、そんなにも学があるという事など全く知らなかったといわれています。しかし、日々の彼の言動を見聞きしている内に、伯継の人となりを人の知るところとなり、進んで彼の教えを受けようとする人が漸次増えていったという事です。
 慶安2年(1649年)、31歳の時です。光政侯に従って江戸に下ります。その時、大名や旗本たちの間に、何処でどう聞いたのかわ分かりませんが、熊沢伯継の教えを受けるものが多く出たのです。こんなことがあり、備前岡山藩に「この人あり」と、熊沢氏の噂が広まります。光政侯は、彼を番頭(ある本に曰く、太夫)として抜擢して、特別に「三千石」を与えまられます。3年間に、一機に十倍に跳ね上がった禄を賜るのです。破格の扱いです。それほどの有能な岡山藩になくてはならない家臣となり、以後の備前藩の国政に深く関与することになるのです。