ホトケの顔も三度まで

ノンフィクション作家、探検家角幡唯介のブログ

『安倍三代』

2017年03月13日 06時45分40秒 | 書籍
安倍三代
クリエーター情報なし
朝日新聞出版


青木理『安倍三代』を読む。全体的に右傾化する現代の政治や社会の風潮を極めて辛辣に批評しつづけるジャーナリスト青木氏によるルポルタージュ。安倍というのはもちろん首相安倍晋三の安倍。祖父寛、父晋太郎、そして晋三と三代にわたって国会議員をつとめてきたそれぞれの人物像を周辺者への取材をとおしてあぶり出していく。

もちろん抵抗のジャーナリストである青木さんの著作だから、父と祖父のエトスがどのように晋三に受け継がれているのかにある。

安倍晋三といえば母型の祖父である岸信介が有名だが、父型の祖父である寛は昭和の妖怪とよばれた岸とは対極にある反骨の政治家だった。父晋太郎も世襲議員ではあったが、選挙での地盤開拓に苦労した経験があり、目線の低いリベラルな政治家だった。それに比べて晋三は何の苦労もしていない、正真正銘のボンボンの三代目。反骨・どぶ板・たたき上げであった先々代、先代と対比することで、いかに三代目の晋三が中身のない人間なのかが浮かぶあがってくる。

この本を読んで、なぜ、首相安倍晋三の言葉があれほど軽く、貧相なのかよくわかった。言葉というのは背骨がないと生みだされない。背骨というのは経験だ。経験という背骨こそが言葉の担保になって力を生みだすのである。ところが安倍晋三にはその経験がまったく欠けている。何の苦労もなく小学校から成蹊大学の付属に入学し、受験すら経験することなく、要するに何の努力もなく大学まで進学し、いずれ政界に進出する「預かりもの」という立場で神戸製鋼に入社するの。そして小学校から大学にいたるまで、周囲の人間は彼のことをほとんど覚えていない。なんと、大学のゼミで一緒に勉強した仲間でさえ記憶をのこしていないほど印象の薄い人物だったという。

勉学にはげんだ経験もなければ、恋愛にうちこんだ経験もない。部活動やバイトや社会活動にいれこんだこともない。何かに真剣にうちこんだ形跡が全然ないのだ。周囲の記憶にのこっているのは大人しく、目立たない、要領のいいだけの凡庸な人物である。祖父の反骨、父のリベラリズムはまったく消え失せ、あるのはただ母方の祖父である、大好きなおじいちゃん岸信介への敬慕だけ。現在につながる右寄りの政治姿勢も若い頃はまったく感じさせず、思想も知性も信念もこだわりも何もない、水のなかをただふらふらと漂うボウフラのような男だったらしい。

ある意味、これほど背骨のない無味無臭の凡俗な人物が、深い思想もなく国のかたちをかえようとしていることが、恐ろしい。というか不気味だ。読んでいても、彼の背景には広漠とした虚無しか感じられない。生きた人間としての痕跡があまりに薄く、ある意味で透明な存在だ。無思想で無知性、思考のない人物が権力をにぎっているという点では、アレントの描いたアイヒマンを想起させ、ちょっと薄気味が悪くなった。
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