ホトケの顔も三度まで

ノンフィクション作家、探検家角幡唯介のブログ

狩猟サバイバル

2010年01月18日 00時52分25秒 | 書籍
ツアンポー探検の記事の打ち合わせで先日、岳人の編集部を訪れ、服部文祥さんと会った。服部さんといえば最近、新著の「狩猟サバイバル」をみすず書房から出した。服部さんが十年ほど前からライフワークとしているサバイバル登山に、狩猟という新たな方法を持ち込んだノンフィクションだ。

服部さんからは「深い人間になりたい」ということをよくきく。読んでみて最初の「サバイバル登山」の時よりも、その深さがなんとく伝わってくるような気がした。

考えてみると、サバイバル登山は所詮、登山というレジャーやスポーツといった余暇の一形態でしかない。それをしなくても生きていけるし、それで金を稼いでいるわけでもない。会社の休みを利用して行っている趣味に過ぎないといえなくもない。いくらハードな自給自足的な方法で登山を行っても、シカを殺して楽しんでいるだけでは、それほど深い行為とはいえない。

彼のサバイバル登山にひきつけられるのは、僕らが普段生活していて見落としがちな社会の偽善性やきれいごとに強い疑問の目が向けられているからだ。本の中でそうした前提やきれいごとは、スーパーでパックされ殺害、解体といった汚い過程を覆い隠された豚肉や、服部さんが駅でシカの生首を持ち歩いているのに気づき、目をむく電車の乗客などに象徴されている。社会が成立するそうした前提が実はちょっと違うのではないかと疑問をなげかけ、それが登山というかたちに昇華させられている。そのメッセージ性に僕らは深さを感じ、登山をしない人にも共感を与える。

そしてそのメッセージ性は、イワナを殺して山を登っていたこれまでより、大型哺乳類であるシカを殺して山を登った今回の本のほうが、より鋭角的に読者に伝わってくる。それはイワナよりもシカを食料として登る方が、殺害、解体という社会が覆い隠してきた汚いナマの過程をむき出しにしているからだ。

気になるのは、サバイバル登山の次の展開だ。魚から大型哺乳類に方法は進化し、思想性もより鮮明になってきた。次はどのように展開させて本にするのだろうか。もちろんプロのライター、編集者なので、サバイバル登山自体が完全に行為として純粋なわけではなく、おそらく書くことがどこかで意識されているはずだ。だから次にどのようなことが書けるかということを考えながら、サバイバル登山も行われている。本を書くために何らかのさらなる展開、もしくは深化がもたらされると僕は思っている。

うーん、なんだろう。ライチョウでも食べますか? ライチョウ食べたら極めて挑戦的な文明論になりそうだなあ。人間はやめてください。

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1 コメント

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風呂入るのメンドクサイ! (ドライブ好き)
2010-01-18 02:58:52


今日も若い娘に、クチとマ○コでチムポ洗浄してもらいました(笑)
マ○コには清潔なチムポを挿入してあげたいので、
クチでしっかり私のチ○カス取るように言いつけてます(爆!!
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