酔眼独語 

時事問題を中心に、政治、経済、文化、スポーツ、環境問題など今日的なテーマについて語る。
 

土浦無差別殺傷事件

2008-03-23 21:26:10 | Weblog
 真剣に人を殺そうと思い込んでいる人間がいる。これは昔もいまも同じだ。

 かつては人を殺すには「それなりの」動機が存在した。「金を盗るだけのつもりだったが顔を見られた」「「別な男と付き合っているのは許せん」「この男がいる限り私に将来はない」。
 
 いずれも自分勝手な理由ではあるが、動機には違いない。ところが、最近は違う。人を殺すのに動機は不要だ。「誰でもよかった」「人を殺したかった」。

 23日、土浦市のJR荒川沖駅で起きた8人殺傷事件の容疑者も取り調べにそう話しているという。両手にサバイバルナイフを握り締め、手当たり次第に刺し、切り付ける。そのとき、彼は何を考えていたのか。あるいはいなかったのか。

 引きこもりがちで、ゲームの達人だったらしい。全国大会で入賞するほどの腕前だとか。大会に出るという行動を見れば、重度の引きこもりとも思えない。少なくとも日常生活と事件との関連性はうかがえない。ゲームと凶行がどうつながっているのか、無関係なのか。その点については分からない。

 池田小の事件や今回の事件を一般化して語ろうとする風潮には違和感がある。彼らの人格形成に社会のありようが絡んでいることと、実際に凶行に及ぶことの間には大きな断層がある。その点を軽視してはならない。

 引きこもりやアルバイト、ニートに対する偏見がさらに助長される恐れがある。精神障害者に対しても同様だ。個別の事件を徹底的に検証する必要があるのに、そこが手抜きされている。そもそも、警察や検察は犯罪に動機などいらないという発想がない。だからあれこれ理屈をひねくり回して冒頭陳述で作文することになる。

 捜査手法や考え方が昔のままで、衝動的な事件に対応できるわけがない。今回の事件でも駅構内に複数の私服刑事が張り込んでいたというが、異常察知能力が欠けている警官ではどうしようもない。

 裁判でも真相には迫れまい。今の裁判所は真実の発見より、審理速度を上げることに熱心だといわれる。これで裁判員制度などが始まったらどうなるのだろう。1週間足らずの審理で何が分かるのか。「2人殺して7人に怪我を負わせた。これは死刑ですね」。

 動機なき殺人が繰り返される社会も怖いが、陳腐な正義が司法を騙る社会はもっと怖い。
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