文部科学省というか、役人というか。この方々は人を競わせるのが大好きなようだ。学力テストで世間を引っ掻き回し、今度は体力テストだ。何を考えているんだか。
《文部科学省の全国体力テスト(8種目)で、県内の小中学生は全国平均を下回る種目が目立ち、「力は強く、持久力もそこそこあるが、瞬発力に欠け、体が硬い大分っ子」の姿が浮かんだ》=大分合同=
《全国体力テスト、本県健闘 文部科学省は21日、小学5年と中学2年を対象に、昨年4―7月に初めて実施した「全国体力テスト」の結果を公表した。8種目の数値を得点化した体力合計点の都道府県別順位で、本県は小5が男女とも3位、中2は男子が5位、女子が10位となり、ほとんどの種目で全国平均値を上回った》=新潟日報=
共同通信の配信を基にした地方紙各紙は、おおよそ上記のようなトーンで、その県の子どもの成績がどうだったかに関心を示している。文科省の狙い通りといっていい。体力テストでも下位に低迷した大阪府の橋下知事は、またまた「市町村別で公表しろ」などと息巻いているらしい。懲りない男である。
こうした反応から導き出されるのは「休み時間かけっこ」「1日10分縄跳びタイム」などというプログラムだ。子どもの自由度はますます脅かされていく。
そもそも、なんで子供たちの体力が低下しているのか。動かなくなった。動く必要がなくなった。これに尽きる。いろんな観点から評価できるが、「進化」の一つともみなせる。平均を取ればこれからも体力は低下していくだろう。
体力と運動能力はイコールか、との疑問もわく。体力とは文字通り体の力、つまり人生を生きていくトータルの力と考えることもできる。となれば、運動能力とは別物だろう。幼少から体が弱かった人が長生きする例は多い。
車に乗るのが軽蔑され、玄米と野菜をもりもり食べて、コンクリートをはがした後にできた原っぱで子どもが跳ね回る。そういう時代になれば、体力テストなどということを考える人はいなくなる。
それにしても、いまの中学生の走力は40年前の小学5年生よりも低い。その分人間が高度になっているのだと思いたい。
《文部科学省の全国体力テスト(8種目)で、県内の小中学生は全国平均を下回る種目が目立ち、「力は強く、持久力もそこそこあるが、瞬発力に欠け、体が硬い大分っ子」の姿が浮かんだ》=大分合同=
《全国体力テスト、本県健闘 文部科学省は21日、小学5年と中学2年を対象に、昨年4―7月に初めて実施した「全国体力テスト」の結果を公表した。8種目の数値を得点化した体力合計点の都道府県別順位で、本県は小5が男女とも3位、中2は男子が5位、女子が10位となり、ほとんどの種目で全国平均値を上回った》=新潟日報=
共同通信の配信を基にした地方紙各紙は、おおよそ上記のようなトーンで、その県の子どもの成績がどうだったかに関心を示している。文科省の狙い通りといっていい。体力テストでも下位に低迷した大阪府の橋下知事は、またまた「市町村別で公表しろ」などと息巻いているらしい。懲りない男である。
こうした反応から導き出されるのは「休み時間かけっこ」「1日10分縄跳びタイム」などというプログラムだ。子どもの自由度はますます脅かされていく。
そもそも、なんで子供たちの体力が低下しているのか。動かなくなった。動く必要がなくなった。これに尽きる。いろんな観点から評価できるが、「進化」の一つともみなせる。平均を取ればこれからも体力は低下していくだろう。
体力と運動能力はイコールか、との疑問もわく。体力とは文字通り体の力、つまり人生を生きていくトータルの力と考えることもできる。となれば、運動能力とは別物だろう。幼少から体が弱かった人が長生きする例は多い。
車に乗るのが軽蔑され、玄米と野菜をもりもり食べて、コンクリートをはがした後にできた原っぱで子どもが跳ね回る。そういう時代になれば、体力テストなどということを考える人はいなくなる。
それにしても、いまの中学生の走力は40年前の小学5年生よりも低い。その分人間が高度になっているのだと思いたい。