酔眼独語 

時事問題を中心に、政治、経済、文化、スポーツ、環境問題など今日的なテーマについて語る。
 

「オバマのアメリカ」は変わるのか

2009-01-21 20:55:08 | Weblog
 アメリカの第44代大統領にバラク・フセイン・オバマが就任した。就任式とその後のパレードに詰め掛けた群衆は200万とも300万とも言われ、史上最大の盛り上がりだった。「ブッシュの8年」の傷跡の深さを如実に物語る光景だ。

 内外のメディアはほぼ歓迎一色である。

 《【ワシントン=真鍋弘樹】北風が強まった。オバマ新大統領が登壇すると、ワシントンの連邦議会議事堂に掲げられた巨大な星条旗が、さらに激しくはためいた。米国が直面する試練を見せつけるかのように。

 20日の就任式で、44代大統領がうたい上げたのは、単純な希望ではない。「イエス・ウィー・キャン」のかけ声が、会場から沸き上がりかけては、しぼんでいく。高揚感に酔いしれた選挙戦とは、明らかに異なる空気が流れた。

 それでも米国民は、オバマ大統領に夢を託す。零下2度、厳寒のワシントンに、全米から200万人に届く過去最多の国民が集結した。

 リンカーン大統領が使った聖書を、奴隷を先祖に持つミシェル夫人が支え、オバマ氏が手を置いたその瞬間。議事堂からナショナルモールの反対側にあるリンカーン記念堂近くまで埋め尽くした約50万人の聴衆が、一つの生き物のように震えた》=朝日web=

 おおよそこのトーンである。前途は厳しいが……。という口調は各紙共通している。

 8年前、9・11テロの直後にブッシュが叫んだ「これは戦争だ」に歓呼したアメリカとオバマに涙を流すアメリカは別物なのか。そうは思えない。支持基盤は異なるとはいえ、底に流れる気分は同じだろう。「yes we can」と答えるアメリカは、強いアメリカを標榜しているのだ。

 オバマの就任演説は極めて地味なものだった。一人一人に責任を求めたのが最大のポイントだ。「アメリカが君たちに何をしてくれるかではなく、君たちがアメリカに何ができるかが問題なのだ」と語ったケネディーとよく似ている。ただし、状況は当時よりはるかに深刻だ。

 内政、外交ともオバマが打てる手は限られている。アメリカ国民の多くもそう思っているのではないか。しかし、それでは希望がなさすぎる。熱狂の裏側はそんなものだろう。

 オバマの登場はアメリカの覇権主義が終わりを告げたことを意味する。だが、多くの米国民はそうは思っていない。いまの苦境を脱すれば、強いアメリカが復活すると考えているのだ。オバマが「アメリカの力」を力説すればするほど現実からは遠ざかる。ここに「オバマのアメリカ」の苦悩がある。

 アメリカの光景をうらやましがる日本人が多いが、「神なき国」であのような熱狂を期待するのは無理というものだ。むしろ、国などという得体の知れないものに統合されていないことを喜ぶべきかもしれない。戦争と最も遠い国柄だからだ。

 「オバマのアメリカ」も結局は戦争経済から逃れられない。「チェンジ」とは車の塗装を変えるぐらいの意味しか持たないのではないか。

 
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