酔眼独語 

時事問題を中心に、政治、経済、文化、スポーツ、環境問題など今日的なテーマについて語る。
 

パラリンピック閉幕

2008-09-19 04:56:39 | Weblog
 パラリンピックが閉幕した。身障者のスポーツが大きな転機を迎えていると感じさせる大会だった。このままでは、五輪と同じような道をたどってしまうのではないかと危惧する。


 大会で一番得をしたのは中南海に住むご一党様であろう。中国が身障者問題への理解を深め、さまざまな施策を実現させつつある。そんな印象を世界に与えたのではないか。しかし、カネ本位制の中国では身障者には露骨な差別が残る。「エリート障害者」を見て全体を判断するのは早計だろう。


 それよりも、パラリンピック自体が変質しつつあることのほうが重要だ。パラリンピックが五輪と連動するようになたのは1988年のソウルからだ。肥大化と商業主義を批判されたIOCが、身障者大会を取り込むことで五輪全体のイメージアップを図った。そんな風に邪推している。五輪誘致への逆風をかわす狙いもあるかもしれない。


 男子陸上の“ブレード・ランナー”ピストリウスに象徴されるようにパラリンピックの競技性は著しく高まっている。これは素晴らしいことだ。だが、競技としてのレベルを維持するため、重度障害者のクラスが次々と姿を消している。趣旨に反するのではないか。

 装具の問題もある。性能が違う装具を付けて争うのでは公平とはいえない。ハイテク装具を用意できるのは一部先進国の恵まれた選手だけである。途上国の障害者はスポーツをすることすらままならない。いまのようなことを続けていけば、障害者の世界の格差も広がる一方だ。


 障害者が信じられないような身体能力を見せる。これによって励まされ勇気付けられる一般の障害者は多いだろう。希望を失った人が、再起を目指すきっかけになるかもしれない。だからこそ、パラリンピックは変わらなければならない。


 いたずらに競技性だけを追うのは賛成できない。細分化されすぎている障害の等級分けを重度、中度、軽度で再配分し、部位別に再編し直す。装具は日常生活に使用できるものに限定する。バネ脚やひずめ足にはお引取り願う。


 トップアスリートは五輪を目指せばいい。「反発係数に問題がなければ一般の大会出場は認められる」との裁判所決定もある。身障者と健常者が同じ土俵で戦うことがってもいい。五輪に車椅子部門などを設けることも考えられる。この場合は、健常者が操作することももちろんありだ。


 パラリンピックにまで国別メダル獲得数を持ち出して、援助合戦をするのは考えものだ。支援はあって当然だ。だが、その前に障害者福祉にもっとカネを使うべきだ。車椅子で自由に動き回れる体育館もほしい。頂点を高くするのは裾野を広げるしかない。
コメント (1)
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