市ヶ谷・牛込(新宿区)周辺の坂巡り。この辺には3~4年前に来ているが、よい坂が多いので再訪した。天候はいちおう曇りだが、ときおり、雲から日が差すと暑くてきつい。
午後地下鉄南北線市ヶ谷駅下車。
地上にでると、靖国通りの歩道である。横断歩道を渡り、左折し、市谷亀ヶ岡八幡神社へ行く。
右の写真のように、正面の急な石段を上る。ここが市谷八幡男坂である。かなりの段数である。
石段の上からふり返って外堀方面を眺めるが、両脇に高いビルがあるので、視界が遮られて狭く余りよい風景ではない。
荷風の「断腸亭日乗」に次の記述がある。
大正7年「九月十日。晡下市ヶ谷辺散歩。八幡宮の岡に登る。秋風颯然として面を撲つ。夕陽燦然たり。夜外祖父毅堂が親燈余影を読む。」(晡下とは、荷風が頻繁に使った用語で、夕方のことと思われる。)
荷風は、夕陽を見たようであるが、いまは、そんな風景は望めない。荷風は、まだ麻布市兵衛町の偏奇館に移っていないので、余丁町の自宅から市谷八幡宮まで足をのばしたのであろう。
神社の右わきを進み、細い道を通り、小さい階段を下り、左折して進むと、左内坂の坂上近くにでる。
左の写真のように、まっすぐにかなり急に下っている。坂下は外堀通りである。
坂下まで下る。坂下側に標柱が立っており、それによると、この坂道は、江戸時代初期に坂上周辺の町屋とともに開発された。名主島田左内が草創したので町名を左内町と呼び、坂道も左内坂と呼んだ(『御府内備考』)。
島田左内は、以前の記事のように、久左衛門の弟で、兄の名は抜弁天近くの久左衛門坂の坂名になっている。
右の写真は坂下から撮ったものである。
坂下から坂を見るとき、見上げるような感じとなり、かなりの勾配であることがわかる。
坂下側は飲屋や飲食店でにぎやかな感じであるが、坂上になると、ビルが多くなり静かな雰囲気に変わる。
坂上を進むが、日がさしてきてかなり暑い。
坂上を進んだ右手一帯が市谷左内町らしい。このあたりには、これのみならず、むかしながらの古い地名がたくさん残っているが、このままずっと残してほしいものである。
防衛庁の左内門を左に見て右折し下るのが、安藤坂である。
左の写真は坂上から撮ったものである。
坂の途中で、少し食い違いになっており、さらに下る。
坂下辺りには大きな印刷工場があるが、日曜であるためか静かである。
この坂の由来は、旗本安藤氏の屋敷があったからという。
goo地図の尾張屋版江戸切絵図をみると、左内坂を上ってきた右手一帯に安藤弘三郎の屋敷が見える。
さらに進むと、再び上りとなる。中根坂である。
右の写真のように、坂上の交差点近くに標柱がたっている。
それによると、昔、この坂道の西側に幕府の旗本中根家の屋敷があったので、人々がいつの間にか中根坂と呼ぶようになった。
上記の江戸切絵図をみると、坂の西側に中根市之丞の屋敷がある。
坂上の交差点を左折していくと、以前の記事の銀杏坂に至るようである。この辺りは古くからの道なのであろう。
ところで、安藤坂の坂下から中根坂にかけて道路がなんとなく白っぽい。このため、日ざしが強いと反射してちょっとまぶしく感じる。
(続く)
参考文献
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)