東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

幽霊坂~小布施坂~日無坂

2015年12月11日 | 坂道

神田川 神田川 グランド坂下の新目白通りを横断し左折しちょっと西へ歩き、右折すると、まもなく神田川にかかる豊橋である。橋を渡ってから右折し、川沿いの道を下流側へ歩く。

次の三叉路を左折し、もどるようにして進み、次を右折すると、新江戸川公園前。以前、このあたりの川沿いの散歩道に何回来ても、この公園を地図では確認できるのだが、いつもたどり着けないでいた。川沿いの道側に出入口がないだけなのだが、はじめてこの公園前に出たとき(豊坂方面からと思われる)、そのなぞが解けたような気分になった。

今回は、あいにく、工事中で、閉園であったので、公園前の道を北に進む。

幽霊坂下 幽霊坂下 幽霊坂中腹 幽霊坂上 そのまま北へ進むと、ちょっと勾配のある坂に突き当たる(現代地図)。

この上が幽霊坂で、都内で同種の名のついた坂の中でもっともその名にふさわしい雰囲気を持ったところである。

たとえば、駿河台の幽霊坂などと比べると、ここはその雰囲気からきわめて貴重な坂と云えるかもしれない。

坂上を進むと、目白通りにでるが、ここを右折すると、東京カテドラル聖マリア大聖堂、椿山荘、目白新坂目白坂方面であるが(その手前を右折すると、神田川へ下る胸突坂)、左折し、西へ進む。

小布施坂下

小布施坂中腹 小布施坂中腹 小布施坂上 目白通りを西へしばらく歩き、日本女子大学前を通り過ぎると、左にちょっとした公園が見えてくる。ここに入り、わきの道にでると、小布施坂の坂上である(現代地図)。

ここは、何年か前に来たとき(その記事)、工事中で、ちょっと残念な気分に陥ったことを覚えていたので、今回、神田川に出たときから、ここを再訪しようと思っていた。

坂下から写真をならべたが、むかしからの細い階段が所々に残っていたのが変わっていない。その他の部分とちょっとアンバランスな印象もあるが、全部なくすよりはずっとよい。

日無坂下 日無坂中腹 日無坂上 日無坂上 小布施坂下をそのまま南へ進み、右折し、次を右折し、ふたたび北へ向かう。 ちょっと歩くと、緩やかな坂道が細くなって、階段坂になるが、ここが日無坂である。

細めの階段坂というのはどことなく風情があるが、ここはその典型のように思える。

ちょっと前に、安住洋子「日無坂」という時代小説を読んだら、ここが次のように描かれている。

『下雑司ヶ谷町の大通りから南に下る日無坂は、細く長く南蔵院の裏手まで延々と延びている。
 幅一間もなく、両側は大名の下屋敷の土塀が続き、さらに、その上から松や欅[けやき]などの大木が覆い被さるように生い茂っているので、日中でも薄暗い。』

その大通りとは、現在の目白通りであろう。下一枚目の尾張屋清七板江戸切絵図の雑司ヶ谷音羽絵図(安政四年(1857))を見ると、ヒナシサカ、とある。

雑司ヶ谷音羽絵図(安政四年(1857)) のぞき坂上 坂上は、富士見坂上につながっている(現代地図)。こちらは坂上から見下ろすと、みごとにまっすぐに下っている。

ここから目白通りに出て、左折し、西に向かう。

ちょっと歩いてから、左折し、都内随一の急坂、のぞき坂の坂上から暮れかかった風景を眺める(現代地図)。

坂上から引き返して、副都心線雑司が谷駅へ。

参考文献
横関英一「江戸の坂 東京の坂(全)」(ちくま学芸文庫)
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
岡崎清記「今昔 東京の坂」(日本交通公社)
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)
デジタル古地図シリーズ第一集【復刻】江戸切絵図(人文社)
デジタル古地図シリーズ第二集【復刻】三都 江戸・京・大坂(人文社)
「嘉永・慶応 江戸切絵図(尾張屋清七板)」(人文社)
市古夏生 鈴木健一 編「江戸切絵図集 新訂 江戸名所図会 別巻1」(ちくま学芸文庫)
「大江戸地図帳」(人文社)
「東京人 特集 東京は坂の町」④april 2007 no.238(都市出版)
「古地図・現代図で歩く明治大正東京散歩」(人文社)
「古地図・現代図で歩く戦前昭和東京散歩」(人文社)
「古地図・現代図で歩く昭和三十年代東京散歩」(人文社)
安住洋子「日無坂」(新潮文庫)

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