東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

富士見坂~日無坂

2010年12月23日 | 坂道

富士見坂下 稲荷坂下の突き当たりを左折しすぐに左折すると、富士見坂の坂下である。かなり勾配がありそうな坂が直線状に上っている。気持ちよいほどまっすぐに延びている。以前、ここに初めて訪れ、坂下の南蔵院の方からきてこの坂を見たとき、あまりの真っ直ぐさに感動した覚えがある。

豊島区HPに次の説明がある。

「富士見坂 目白通りに面した酒屋さんと、写真館の間から高田方面に下る坂で、石碑があります。 豊島区高田1-33、40辺り。」

尾張屋板江戸切絵図を見ると、このまっすぐな坂はなく、宿坂の東側二本目にある道筋はかなり折れ曲がっており、途中に、ヒナシサカ、とある。近江屋板にも折れ曲がった道筋に坂マークの△印とともにヒナシサカとある。

この坂ははじめは緩やかだが、すぐにかなりの勾配で上りはじめる。上り一方通行で、ときおり車が上ってきて坂上で信号待ちをしている。

富士見坂上 写真のように坂上から南西方面がよく見え、西新宿の高層ビル群が見える。坂名からしてかつてはここから富士山が見えたのであろうが、いまはどうなのであろうか。坂上西側の民家の塀に「明治百年記念 富士見坂 田富士見会」と刻まれた石碑がはめ込まれているが、これが豊島区HPでいう石碑であろう。

横関、石川、岡崎は、この坂を、富士見坂として説明しておらず、日無坂としている。このため、調べていてちょっと混乱した。

まず、横関は、日無坂を「豊島区高田一丁目と文京区目白台一丁目十五番五号(旧高田豊川町)との境を南に下る坂。鳳山という酒屋と写真屋との間から南へ下る坂、東坂とも」としている。

石川は、「文京区と豊島区の境界辺、目白台一丁目十五番から西に曲がって江戸川のほうへ南下する急坂。東坂の別称もあって、宿坂の東に並行している。・・・新しく富士見坂と称している。」とする。

岡崎は、「護国寺方面から上ってくる清戸坂が目白通りに交わるところから、左へ豊島区(高田へ)南下する急坂である。この坂道が、文京区と豊島区の境になっている。」とし、別名を東坂、富士見坂とする。

山野は、富士見坂を「明治以降の新坂で、坂上で江戸時代の日無坂と合流する。」とする。

富士見坂、日無坂の坂上 山野が日無坂とするのは、写真のように、左から上ってくる細い坂である。右が上記の富士見坂である。このあたりで合流する。

まとめると、横関、石川、岡崎は、この坂(写真右の坂)を日無坂とし、写真左の細い坂については触れていない。石川、岡崎は掲載の地図でもそのように示しており、また、日無坂(写真右の坂)の別名を富士見坂、東坂(横関も)としている。

再度、江戸切絵図を見ると、宿坂の東側二本目のヒナシサカとある道筋は、現在の写真左の坂下側の道筋とあっているようであるが、折れ曲がって一部で写真右の坂側にずれているようにも見え、また、坂上で現在のように清戸坂が目白通りに交わるところに出ている。

以上から、写真左の坂は、江戸時代の坂と完全に重なり合うものではないかもしれないが、江戸切絵図のヒナシサカに相当すると思われるので、日無坂とし、写真右の坂は、江戸切絵図になく、山野が説明するように、明治以降に開かれた新しい坂であり、新しい坂名である富士見坂とするのがふさわしい気がする。

日無坂上 写真は日無坂の坂上から撮ったもので、坂上のすぐ下は石段となっており、大人二人程度がやっと通れるほどの狭い坂だが、風情のある坂となっている。

豊島区HPに次の説明がある。

「日無坂 江戸時代からの歴史ある坂で、豊島区と文京区の境にあり、階段道もあります。別名は東坂。 豊島区高田1-23辺り。」

豊島区と文京区の境にある坂、という説明も混乱のもとになった。現代地図を見ると、豊島区と文京区の境界は、上記の説明のとおり、日無坂であり(google地図などを見ると正確には坂よりも東側)、富士見坂は、豊島区内であり、坂上でようやく両区の境界を通るにすぎない。

富士見坂と日無坂を別の坂とするのは、上記の山野、豊島区HP以外に、調べた範囲では、東京23区の坂道、三船康道監修「歩いてみたい東京の坂 上」(地人書館)がそうである。

日無坂途中 写真は日無坂の途中から坂上を撮ったものである。このあたりまで石段であるが、坂下側はそうではなく、細く緩やかな坂道となっている。

坂名の由来は「新撰東京名所図会」が次のように説明しているとのこと(石川)。

「ひなし坂は当町(高田豊川町)の南西角、即ち駒塚橋の通りより北の方雑司ヶ谷に上る坂をいふ。其の路甚だ狭隘にして小車の通ずるを得ず。僅かに一人づつの歩を容るゝのみ、左右樹木等にて蔽ひ居れば、日無坂の義にてかく呼ぶらんか」

かなり狭い道で樹木で蔽われていたので、それから日無しとなって、坂名となったとの説明である。

別名の東坂については、横関はヒナシ坂から自然になまって転訛し、ヒガシ坂となったとし(三船も)、岡崎は宿坂の東に平行しているからとする(石川も)。
(続く)

参考文献
横関英一「江戸の坂 東京の坂」(中公文庫)
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
岡崎清記「今昔 東京の坂」(日本交通公社)
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)
市古夏生 鈴木健一 編「江戸切絵図 新訂 江戸名所図会 別巻1」(ちくま学芸文庫)
「切絵図・現代図で歩く江戸東京散歩」(人文社)
「古地図・現代図で歩く明治大正東京散歩」(人文社)
「古地図・現代図で歩く戦前昭和東京散歩」(人文社)
「古地図・現代図で歩く昭和三十年代東京散歩」(人文社)

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