東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

グランド坂

2015年12月09日 | 坂道

グランド坂周辺地図 グランド坂上 グランド坂上 グランド坂上 早稲田通りの八幡坂を上り、坂上をそのまま西へちょっと歩くと、西早稲田の交差点(現代地図)。

交差点を渡り、そのまま北へ坂を下るが、途中で気がつき、引き返す。そのまま下ると、新目白通りで、その左に甘泉園公園があるが、ここにはかなり前きたことがあり、公園の上側に堀部安兵衛の石碑があったことを思い出した。

交差点まで引き返す。交差点を背にし、右側(東側)がグランド坂の坂上で、グランド坂通りの標識が見える。坂上からちょっと下ると、右に大きくカーブしながらなだらかに下っている。

グランド坂上 グランド坂上 グランド坂中腹 グランド坂中腹 坂上からの下りカーブが終わるあたり右側(東側)歩道に、坂の標柱が立っていて、次の説明がある。

『グランド坂
 戸塚球場(今の早大総合学術センター)のグランドから、六大学リーグ戦に向け練習に励む学生達の声が響いてくることからグランド坂と呼ばれるようになった。戸塚球場は昭和二四年、早大野球部育ての親、安部磯雄教授の逝去により安部球場と改称し、昭和六二年まで存続した。  新宿区教育委員会』

昭和31年(1956)の東京23区地図の新宿区を見ると、西早稲田の早稲田通りからいまの新目白通りの電車通りへ下る道は、まっすぐに北へ下る広い道路はまだなく、このグランド坂しかない。坂の中腹下り方向左(西側)に、早大球場とあるが、いまはないようで、図書館になっている。地名の由来になったものがすでにないが、名だけ残った例の一つである。

いつもの明治地図や戦前の昭和地図には、このあたりがのっておらず、この坂が何時ころできたかちょっと不明。

グランド坂中腹 グランド坂中腹 グランド坂中腹 グランド坂中腹 坂上からの下りカーブが終わると、ほぼまっすぐに東北へ下っている。

坂下の新目白通りまでかなり長い。坂上の交差点のあたりは牛込台地の高所と思われ、神田川流域の坂下低地まで、緩やかであるが、かなりの高低差を下るように感じる。

坂中腹になると、両側が早稲田大学の敷地であるためか、住宅街と違って静かな雰囲気で、落ち着いた感じである。 先ほどまでの八幡坂と違って、人も車も少ない。煩雑で賑やかな坂から落ち着いて静かな坂へと、その変化を感じながらゆったりとした坂道散歩を楽しむことができる。

グランド坂下 グランド坂下 グランド坂下 牛込市谷大久保絵図(安政元年(1854)) 大学の門を過ぎると、ちょっと左に緩やかにカーブし、次第に勾配も緩やかになっていくが、それにつれて坂下側でまたちょっと賑やかになる。

この坂は、坂上と坂下でちょっとカーブしているのがまたおもしろく、単にまっすぐになっているよりもよい坂の雰囲気をつくっている。

四枚目は、江戸切絵図尾張屋清七板の牛込市谷大久保絵図(安政元年(1854))の右上の部分図である。穴八幡の西側には、町屋や武家屋敷もあるが、畑が広がり、川の流域は田んぼであろうか、細長い高田馬場も見える。

坂下の新目白通り(現代地図)を左折しちょっと西へ歩くと、都電荒川線の終点(始点)、早稲田駅がある。
(続く)

参考文献
横関英一「江戸の坂 東京の坂(全)」(ちくま学芸文庫)
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
岡崎清記「今昔 東京の坂」(日本交通公社)
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)
デジタル古地図シリーズ第一集【復刻】江戸切絵図(人文社)
デジタル古地図シリーズ第二集【復刻】三都 江戸・京・大坂(人文社)
「嘉永・慶応 江戸切絵図(尾張屋清七板)」(人文社)
市古夏生 鈴木健一 編「江戸切絵図集 新訂 江戸名所図会 別巻1」(ちくま学芸文庫)
「大江戸地図帳」(人文社)
「東京人 特集 東京は坂の町」④april 2007 no.238(都市出版)
「古地図・現代図で歩く明治大正東京散歩」(人文社)
「古地図・現代図で歩く戦前昭和東京散歩」(人文社)
「古地図・現代図で歩く昭和三十年代東京散歩」(人文社)

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