東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

大坂

2013年02月17日 | 坂道

大坂上 大坂上 新道中腹 新道中腹 前回の道玄坂上から西へ進み、旧山手通りを横断し、国道246号線(厚木街道)の北側の歩道を歩くが、緩やかな下り坂となる。ここが大坂(新道)である。

一枚目の写真のように、やがて斜め右に分かれる道が見えてくる。この下り坂が246号線にできた新道であるのに対し、分かれた道が大坂の旧道である(現代地図)。二枚目は、分かれ道に近づいてから撮ったもので、ちょうど境目のところに大坂の標柱が立っている。

三枚目は、歩道をさらに下って、そのまま西の坂下側を撮ったものである。やがて大坂橋に近づくが、そこからふり返って坂上側を撮ったのが四枚目の写真である。上に見える高架は首都高速3号渋谷線で、西へ用賀まで延びて、そのまま東名高速につながる。

ここからちょっと離れているが、環状8号線を北の方から来て左折し用賀入口で渋谷線に入ったが渋滞になったのでタクシーから降りて非常階段で下へ降りたのが三軒茶屋のあたりで実は異界(空に月が二つ見える世界)、というのが村上春樹『1Q84』の長い物語のはじまりであることを思い出した。

大坂下 大坂下 大坂下 大坂下 大坂橋の上から下を通る山手通りが見えるが、そのたもとに階段がある。これで下り、ほんのちょっと歩くと大坂の坂下で、そこを右折すると上りになるが、左折し山手通り近くの坂下から坂上側を撮ったのが一枚目の写真である。

二枚目はちょっと進み坂上側を撮ったものである。このあたりはまだ緩やかで、その先でちょっと右に曲がっている。三枚目はその先の曲がりのところから坂上を撮ったもので、しだいに勾配がついてくる。四枚目はそのあたりから坂下を撮ったもので、その先は山手通りである。

上記の標柱に次の説明がある。

「大坂 厚木街道(江戸から厚木まで)の間にあった四十八坂のうち、急坂で一番大きな坂であったので、大坂と呼ぶようになったといわれる。この坂標識の北側の坂が旧道で、南側の坂が新道である。」

大坂中腹 大坂中腹 大坂中腹 大坂中腹 この坂は、中腹でかなり勾配がついてくる。一、二枚目の写真は中腹から坂上を撮ったもので、坂上側でふたたび右にちょっと曲がっている。三枚目は坂下を撮ったもので、かなり急である。四枚目はそのちょっと上から坂上を撮ったものである。

目黒区発行の「坂道ウォーキングのすすめ」という楽しい小冊子がある。目黒区内の各坂の全長、高低差、平均斜度のデータが載っているが、ここは、160m、10m、5.48。斜度は平均であるから中腹の急なところはこれ以上と思われる。

道玄物見松というのが江戸名所図会に紹介されていることを道玄坂の記事で触れた。「道玄坂を登りて七町あまり西の方、同じ街道大坂と云ふより此方、右側にありしが、明和の頃枯れたりしかば伐りたりと云ふ。」とあるように、道玄坂上の西、大坂の手前にあった。

大坂上 大坂上 大坂上 大坂上 一枚目の写真のように、坂上近くでかなりなだらかになり、やがて三枚目のように先ほどの246号線の歩道が見えてくる。二枚目は坂下を撮ったものだが、このあたりからもかなり急に見える。四枚目は標柱から坂上を撮ったもので、ここではほぼ平坦である。坂上のちょっと先(西)から右に入るとナザレン目黒キリスト教会がある。

昭和16年(1941)の目黒区の地図を見ると、厚木街道に玉川電車が通り、坂上の交差点(現在の旧山手通りとの)からちょっと下(西)に、大坂上の停車場があった。そのさらに下に厚木街道から分かれた大坂(旧道)が見え、緩やかにカーブし弧を描くようにして下っている。坂下は変則的な五差路で、そこから西へ上る道があり、厚木街道に合流している。現在の山手通りはまだないが、その予定線が上記の五差路のあたりを通っている。新道と旧道との間に中将湯製業所という工場(津村順天堂)があったが、現在は大きなビルが建っている。坂下のすぐ北に大教寺という寺があるが、いまもある。現在、坂下を山手通りの手前で右折すると、小径があり、すぐに山手通りの歩道に出るが、この小径が上記の五差路近くの道の一部かもしれない。

昭和31年(1956)の東京23区の地図を見ると、上記とほぼ同様である。

大坂下 新大坂から下 一枚目の写真は、この後、山手通りの反対側歩道から坂下方面を撮ったもので、左側に進むとこの坂の上りとなる。

横関に、この坂の新道と旧道との分岐点付近の写真がのっているが、246号線には高架も高いビルもないため、西の方は広々としていて、現在とまったく違った風景が写っている。

横関は、坂のふもと近くに昔のままの帝釈天、庚申塚があり、この前から坂は左に折れて、氷川神社の高台下に向かって上って行き、新道路の大坂に合体している、と記述している。

上記の昭和16年地図を見ると、変則五差路から斜め左へ進んでから厚木街道と平行にまっすぐに西へ延びる小径があるが、ここが氷川神社の高台下に向かって上る道と思われる。この現代地図から古地図の昭和22年と昭和38年の航空写真を見るとよくわかる。

二枚目は、大坂橋のたもとから下を撮ったもので、山手通りから西へ上る道が見える。この上で246号線につながっている。三車線の広い道で、山手通りも広く、上記の昔の小径を吸収して昔の道との関連性がわかり難くなっているが、246号線につながる道は昔の道と同じ方向にできている。ビルの間に見える森が氷川神社であろう。

この坂は、厚木街道側は大きな通りで、平凡すぎておもしろみがないが、旧道は裏道となっていて、適度にカーブし、しかもかなりの勾配があるため、なかなか味のあるよい坂となっている。

目黒区HPの大坂の説明にある地図には、旧道の坂下は直進方向の山手通りの方でなく、左に丸く曲がる道が示されている。この道を進めば、上記のように階段に至り、それを上れば新道である。
(続く)

参考文献
横関英一「江戸の坂 東京の坂(全)」(ちくま学芸文庫)
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
岡崎清記「今昔 東京の坂」(日本交通公社)
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)
「嘉永・慶応 江戸切絵図(尾張屋清七板)」(人文社)
市古夏生 鈴木健一 編「江戸切絵図集 新訂 江戸名所図会 別巻1」(ちくま学芸文庫)
デジタル古地図シリーズ第一集【復刻】江戸切絵図(人文社)
デジタル古地図シリーズ第二集【復刻】三都 江戸・京・大坂(人文社)
「古地図・現代図で歩く昭和三十年代東京散歩」(人文社)
「江戸から東京へ 明治の東京」(人文社)
「東京人 特集 東京は坂の町」④april 2007 no.238(都市出版)
「東京人 特集 東京地形散歩」⑧august 2012 no.314(都市出版)
「江戸名所図会(三)」(角川文庫)
「昭和十六年大東京三十五区内目黒区詳細図」(人文社)

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