東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

旧渋谷川歩道~ネッコ坂~穏田神社

2010年12月19日 | 坂道

原宿橋跡 熊野神社前で、どのコースで表参道の向こうのネッコ坂まで行こうかと思って地図を見ていたら、近くに旧渋谷川跡の歩道があったので、そこから表参道方面にアクセスすることにする。

熊野通りを西に進み、外苑西通りを横断すると、下り坂になって、谷に向かう感じになる。しばらく歩くと、自販機のそばに「原宿橋」と刻まれた石柱が立っていた。ここが渋谷川にかかっていた原宿橋の跡であろう。

渋谷川は、新宿御苑内の池を水源とし、現在の外苑西通りに沿って南に流れ、先ほどの龍厳寺の手前あたりで通りから離れ南西に流れる。現代地図を見ると、龍厳寺の裏手に南西に延びる細い道があるが、この道が、ちょうど原宿橋跡の辺りまで延びている。渋谷川は、水源からずっと暗渠になって、JR渋谷駅東口の稲荷橋で開渠し、南側へ流れ、港区に入ると、古川と名を変える。

旧渋谷川歩道 尾張屋板江戸切絵図をみると、竜岩寺(龍厳寺)の裏を川が流れているが、これが渋谷川であろう。竜岩寺のとなりの應覚寺の裏に橋がかかっているが、その下流の橋が原宿橋であろうか。

原宿橋の石柱のあるところを左折し、少し歩くと、うねった道が続いている。坂道のうねりとちょっと印象は違うが、川跡のうねりもなかなかおもしろい。こういった道の散歩はまっすぐの道よりも私には楽しい。同じように感じている人もいるはずである。

道の両側に民家が続くが、次第に店が多くなってくる。途中、四差路を過ぎると、急に人通りが多くなる。足早に通り過ぎようと思っても、そうもいかない。都会の静かな散歩を楽しむ場合には、ここから先は避けた方が賢明である。

表参道の広い道路に至るが、この歩道も人通りが多く、歩道橋を渡るのに並ぶ感じである。後で知ったが、このあたりに参道橋と刻まれた石柱があるとのことである。

ネッコ坂下 表参道を超えて、さらに渋谷川跡を南側に進むが、ここもかなりの人通りである。すぐに左折し、その裏道に入る。ちょっと南側に歩き、左折すると、ネッコ坂の坂下である。ここもうねりながら上っており、中腹で右に緩やかに曲がっている。坂上側で少し勾配がきつくなり、また、左に緩やかに曲がっている。

標柱はないが、石川によれば、木の根っこのように曲がっているので、ネッコ坂といったらしい。「府内場末其他往還沿革図書」の天保年度の図によると、旗本稲葉長門守屋敷の北わきを西方穏田村へゆく道をネッコサカとしているとのことである。

尾張屋板江戸切絵図を見ると、稲葉長門守屋敷の北端から渋谷川に向かう道があり、いまのように湾曲しているが、坂マークも坂名もない。近江屋板に、ちょうど湾曲した道に、△印の坂マークがあり、子ツコサカとある。岡崎に、上記の「府内場末沿革図書」の図がのっているが、子ッコ坂と記された位置が湾曲部分の上側になっている。しかし、このあたりの坂をネッコ坂といったことは間違いないようである。

ネッコ坂上側 切絵図では坂下から川にかけて百姓地が広がっており、渋谷川の水で耕作していたのであろう。

坂上まで行き、引き返す。坂上から下っていくと、坂道がむかし農道であったことを感じさせるほどに細く、その周りに広がっていたであろう田園風景を何となく想像できる感じがする。 今回巡った坂のいくつかと同じように、ここもうねっているが、左右に二度ほど曲がっており、変化にとんだ道筋である。ネッコ坂としたわけも頷ける。

坂下で左折し、南側に進む。下側の川跡のにぎやかな通りとちょっと離れているだけだが、この道は人通りはほとんどなく、ときたま車が通る程度で、静かである。しばらく歩くと、右手に穏田神社の参道が見えてくる。

穏田神社 参道から穏田神社に入るが、ちょっと違和感がある。参道の両わきにはわずかにあるが、本殿の周囲に、ほとんど樹木がないのである。これでは神社が丸裸にされたようなものである。やはり神社にはたくさんの樹木が似合う。

このあたりを穏田といった。この地名は、古いらしく、その確かな由来は不明だが、北条氏の家臣の恩田なる人物が住んでいたから、あるいは隠し田からなどの説があるとのこと。隠田とも書かれたが、明治以降は、穏田が主流であるらしい。家康入国の翌天正十九年(1591)、伊賀者に給付した土地で、その子孫は明治維新まで住んでいたという。

明治末に飯野吉三郎という怪人物が世にあらわれ、朝、白装束で祈禱し、神様のお告げと予告し、なにかの予言があたったとかで政財界にも心酔者ができたらしい。穏田に千坪の土地を購入してここに新興宗教団体を設立したため穏田の神様とか穏田の行者とかいわれ、全国的に有名な存在であったが、その乱行から信者が離れ、不遇な晩年を送り、昭和19年(1944)に病没した。穏田にはそのような意外な歴史もあったようである。

穏田神社の横からでて、表参道方面にもどるが、川跡のにぎやかな通りを避けて、明治通り側の裏道を進み、表参道と明治通りとの交差点にでるが、人通りが多い。たくさんの人が信号待ちをしている。ここは東京の中でもにぎやかな繁華街の一つであるようである。明治神宮前駅へ。

今回の携帯による総歩行距離は9.0km。

参考文献
横関英一「江戸の坂 東京の坂」(中公文庫)
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
岡崎清記「今昔 東京の坂」(日本交通公社)
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)
市古夏生 鈴木健一 編「江戸切絵図 新訂 江戸名所図会 別巻1」(ちくま学芸文庫)
「切絵図・現代図で歩く江戸東京散歩」(人文社)
「東京地名考 上」(朝日新聞社会部)
菅原健二「川の地図辞典」(之潮)

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