ホワイトシェパード・アリエスの日々 ≪一雲日記≫

いつまでもどこまでも一緒に歩こう!

2018年9月中旬~11月20日

2019-02-08 | 11~12歳
9月中旬~11月16日
予兆

9月16日、しっぽにおできを発見して動物病院受診。スタンプ細胞診では悪性細胞は見当たらず、また感染性粉瘤かな?ということだった。大きくも小さくもならず、放置してみるという道もあったけど、翌週の経過観察を経て30日に液体窒素による凍結療法をおこなう。その後1週間ごとに3回目まで施行し改善。10月28日の経過チェックではそちらはOK。でも座位をとる際に膝関節のクリック音がするため、レントゲン撮影をしてみると左膝関節に変形性膝関節症の診断。同日からカルトロフェンの皮下注射開始。定期投与のため週1度受診していた。ほかに症状なし、あるいは気づかず。

11月17日~19日 
発症

15日にいつものカイロプラクティック。16日に何だか左後肢の様子がおかしいように思えて見てみるが、よくわからない。足関節より先が内側に入ってしまうような感じだったので、急いでネットでプロテクターを注文する。階段の昇降が危険なので、一緒に居間で寝ることにする。
17日朝の散歩から帰宅後、壁にぶつかったり自分の足につまずいたり動揺性歩行が出現。左足が変だと思っていたが、どうも右足もおかしい。その晩まったく落ち着きがなく、おぼつかない足取りでぐるぐると歩き回る。なだめたり叱ったりしながら私も右往左往していた。スピードに乗らないと立っていられないが、速度の調節ができず突っ込んでしまう、バックすると尻もちをつく。アリエス自身も困惑しているようにも見える。食事や飲水などは無表情でガツガツした感じになる。
18日はアリエスの歩く可能性のある場所の模様替えをする。家具は壁側に寄せて置く。角はすべて発泡スチロールなどで保護、滑らない敷物を敷く。その後もネットで頼んだカーペットやヨガマットを一面に敷き詰めて、転倒に備える。
この日はなんとか車に乗って受診。その時点ではまだ神経症状なのかははっきりせず、色々な可能性を考えて採血し帰宅。普段より白血球数がやや多く、軽い肝障害がみられる。
夜はガーゼのバスタオルで応急の後ろ足ハーネスを作り、立ちたがったら装着して一緒に家中を歩く。アリエスは1階の隅々までまるで見回るように、でも表情のない顔で歩き回る。爪が床に当たり、一晩中カチャカチャと音がしていた。その音は今でも私たちの耳に残っている。水は高さのちょうど合うソファの上に用意し、飛行機の着陸の要領で、スピードを制御できないアリエスの軌道をゆるく制御しながら、数秒だけ止まらせて支えながら器を近づける。気が済んだら伏せるので、なでてマッサージして寝かせる。2時間ごとくらいに繰り返す。思うように食べられない。

11月20日 
増悪

ひきつづき2時間ごとにぐるぐる歩く。周囲への反応が鈍い。認知症か?と思いつつ、せん妄+脱水による不穏を疑い以前もらっていた溶液の皮下注と点滴をする。目がしっかりして反応が戻り、体勢を自立させることができる。呼吸数がまだ多く鼻が渇いており、補液はさらに必要と思われた。病院に相談すると、進行が速く脳梗塞なども考えうること、その場合イヌでは予後がよくないことを告げられる。確定診断のためにはもちろん頭部画像検査、壊死性髄膜炎などの可能性も考えるとMRI撮影が望ましいとのこと。しかし遠方までの移動のリスクと、診断に対しての治療内容を考えて、無理にはおこなわない方針となる。脳腫瘍なら現在の状態と年齢からオペは危険が大きく保存療法を考慮、髄膜炎関連ならステロイド投与はいずれにしろ必要。やることが変わらないなら無駄な体力は使わないようにしよう。あとから思うと髄液検査はしたほうがよかったかもしれないが、脳血管障害の疑いのある状態で往診では、やはり無理であったろう。

これまでありがとうございました

2019-02-03 | 11~12歳

これはお昼寝中の寝顔


昨年12月、アリエスを喪いました。
2-3日は意外なほどすっきりした感覚でしたが、混乱した非日常が過ぎてみると、それが自分というものの大半が抜け落ちてしまった涼しさだったのだと気づく。どうやって日常を維持したのかよく覚えていません。

ちょうど1か月目に、アリエスの夢を見ました。逝ってしまう場面だったので恐怖に襲われたけど、「また戻ってくるから体を預かって」とアリエスが言うので、なんとか気を取りなおして今に至り、こうしてこの日記にけりをつけようと思い立ちました。パソコンの前に座るだけの日がだいぶ過ぎてしまいましたけれども。

まず、これまでお世話になった皆様、本当にありがとうございます。それぞれの方にお礼をお伝えせねばなりませんが、電話で語るのも手紙を出すのもできそうになく、このブログで失礼しますことをお許しください。

アリエスは、最後までよく頑張りました。危ない時を2度乗り切ったと今まで思っていました。しかし冷静に考えれば、あの状態で40日もの日々を私たちにくれたこと自体が驚くべきことでした。気づく余裕がなかっただけで、アリエスは奇跡を起こし続けていたのでした。

アリエスが我が家にきた当初から、手術などの処置を伴う状況以外では入院させない方針でした。今回も話し合ってやはり入院はせず、獣医さんの指導のもと、自宅で一から十まで闘病しました。たまたま連休でやりくりできたり、盆暮れ正月も夏休みもろくに休めたためしのない父ちゃんが、なぜか休みを取れたりと幸運に恵まれて、アリエスから片時も離れず家族みんなで、文字通り死闘しました。

このブログを始める時、筆の重くなる事柄についてこそちゃんと書こうと思っていたので、これからを生きる犬たちへ、なにほどかのヒントでもあればと、11月からのアリエスの様子を記します。

また、私たちにとって「幸せ」そのものを意味するアリエスの姿が眼前にあった日々には、あまり日記に書くべきこともないような気がしていましたが、バラバラな断片のようになってしまった今現在をとりまとめるためにも、やるべきことと感じています。

気晴らしでも早く苦痛を忘れることでもなく、どこまでも悼み悲しむこと、今を直視すること、アリエスが教えてくれたことを思い返して考え直すことでしか、自分は本当には再起できないのではないかと思っています。

11年はあっという間だったけど、この1か月は本当に長かった。アリエスが与えていた鮮烈なみずみずしさが失われて、現実感のない日々が経っていきます。アリエスがここにいた11年は夢だったのかとも思える。命より大切だと思っていたものをなくしても、生きていられる不思議。