窓からの風でレースのカーテンがふわりと膨らむと、アリエスはすかさずやってきて、カーテンの下に入り鼻を上に向けて匂いを楽しんだ。「スカートめくり」などと不謹慎な呼び方をして、私たちはその姿を楽しんだ。カーテンの舞うそよ風に、カタリと物が落ちる音に、まとわりついて離れない蝶々に、アリエスが訪ねてきたと思って目を凝らし耳を澄ます。
アリエスのために作り直した庭は、主を失くしたのにちゃんと芽吹き、花咲き、力強く季節をとらえている。私はただ淡々と世話をする。アリエスがそっと遊びに来るかもしれないから。アリエスの足元に邪魔にならないよう草を払い、日射しから避難できる木漏れ日の枝になるよう剪定する。白い花を植える。アリエスの白い花だよ。
アリエスのためにと思ってすることが、ひいては植物の助けになり、めっきり少なくなった緑を近隣にも楽しんでもらうことになり、わずかな面積でも地球を冷まし、小さな生き物の世界を作る。アリエスを入り口にして、私はいろんなことに関与していることになる。
仕事でもアリエスは、片時も私の心を離れない。アリエスを見るように人を見、アリエスに話しかけるように話し、アリエスに訊ねるように話を聴くようにしていると、相手が心を開いてくれるのがわかり、こんなにも違うのものかと驚く。
アリエスの腹時計に合わせた時間割は、今でも私たちの生活を規則正しく保つ。アリエスに出したごはんを1食遅れでありがたく戴く私は、どんなに嘆き悲しんでもやせ細ることはない。
アリエスは私の基盤であり循環する生命力であり、暮らしのいたるところで顔を出しては、きらめくようなエピソードを思い出させる。まだ涙は出るが、涙は、傷口を塞ぐかさぶたのようなものかもしれない。アリエスはきっと、涙でない何かで、それを埋めるようにと願っているだろうと思う。
私にとっては、やっぱりアリエスが季節をめぐらせ、自分の命のエンジンなのだと実感するのです。これからアリエスの姿のない初めての夏を迎え、秋を迎え、アリエスを失った冬もくる。大丈夫かな。大丈夫だと言おう。アリエスには絶対そう言おう。
アリエスのために作り直した庭は、主を失くしたのにちゃんと芽吹き、花咲き、力強く季節をとらえている。私はただ淡々と世話をする。アリエスがそっと遊びに来るかもしれないから。アリエスの足元に邪魔にならないよう草を払い、日射しから避難できる木漏れ日の枝になるよう剪定する。白い花を植える。アリエスの白い花だよ。
アリエスのためにと思ってすることが、ひいては植物の助けになり、めっきり少なくなった緑を近隣にも楽しんでもらうことになり、わずかな面積でも地球を冷まし、小さな生き物の世界を作る。アリエスを入り口にして、私はいろんなことに関与していることになる。
仕事でもアリエスは、片時も私の心を離れない。アリエスを見るように人を見、アリエスに話しかけるように話し、アリエスに訊ねるように話を聴くようにしていると、相手が心を開いてくれるのがわかり、こんなにも違うのものかと驚く。
アリエスの腹時計に合わせた時間割は、今でも私たちの生活を規則正しく保つ。アリエスに出したごはんを1食遅れでありがたく戴く私は、どんなに嘆き悲しんでもやせ細ることはない。
アリエスは私の基盤であり循環する生命力であり、暮らしのいたるところで顔を出しては、きらめくようなエピソードを思い出させる。まだ涙は出るが、涙は、傷口を塞ぐかさぶたのようなものかもしれない。アリエスはきっと、涙でない何かで、それを埋めるようにと願っているだろうと思う。
私にとっては、やっぱりアリエスが季節をめぐらせ、自分の命のエンジンなのだと実感するのです。これからアリエスの姿のない初めての夏を迎え、秋を迎え、アリエスを失った冬もくる。大丈夫かな。大丈夫だと言おう。アリエスには絶対そう言おう。
いつまでもおれ虹の橋へたどり着ケンやんかーって言ってやりな!しがみ着いてるから重てぇーって足でケッケッてしてやりな!
龍ジータんからまだこんがよーって連絡がありました。
柴犬政宗が虹の橋へ旅立ち龍と出会うまでの間ぽっかり空いた穴は埋まることはなかったな・・・あたしはね。
龍が虹の橋へ旅立ち秋田犬政宗が間なしで来てドタバタしながらの生活の中で政宗の中に龍が見えて先代の犬達が見えてる。そのポジションにいるべきものは犬しかない何を持ってきても埋まらないと柴犬政が死んだ時に教えてくれた。
まーぶーも9歳になりました。運良く生きて後3年全身全霊すべての時間をまーぶーに!(*≧∀≦*)
虹の橋はいい話だよね。旅立った犬を救い、残された人を励まそうとしてくれる。私が感じているアリエスの死は、少し違うのだけど。
空白をなにで埋め、なにを支えにして立ち上がるかは人によって違い、新たな犬を迎えるのもすばらしいし、各自選択せざるを得ないのだろうなと思います。
どんな方法であれ、まさむねさんが犬の背後に前の子たちを見るように、それぞれの暮らしの中に最愛の子の姿を見、結局一緒に笑ったり泣いたりしてこれからを生きてゆくのではないかと思う。
アリエスは橋で待ったりはしないで、まっすぐ行くべきところに到着した。と思っています。私がグズグズ泣こうと再生に執念を見せようと、アリエスは自分の道を行ったのだと。死とはそういう峻烈なもので、アリエスは立派に私を切り離したのではないかな。ロケットかよ。
私がやりたいのは、穴や空白を、結局アリエスで埋めることだなと思う。まさむねさんが懸念してくれているような過去思考でなく、アリエスから学んだことを実生活に常に生かそうとすることで。日常の中で、はたと思い出すことは実際たくさんある。
「埋める」のは、なんというか、犬とか馬とか趣味とか仕事とか、そういうカテゴリーじゃなく。埋めてもらうのではなく、自分でやるんだというか。アリエスの生きた事実をちゃんと生かしたいというか。
まとまりの悪い手紙のようになってしまったけど、こうして書くことで考えが(自分の中では)整理されてきます。言わずもがなのことをたくさん書いてしまった。まさむねさん、私たちの一大事にはいつも心を寄せてくれて、本当にありがとうね。政宗くんと、幸せに!
立ち姿でなくてほんと走ってる姿。
で、生きとるかなーと覗いてみただよ。(*≧∀≦*)
母ちゃんの様子を見てと、アリエスがまさむねさんに頼んだのかな?
走る姿だったなんて、なんかよかったよ。自由に幸せに、いてほしい。それに、こうしてアリエスを思い出してもらえて嬉しいよ・・・ありがとう!