ホワイトシェパード・アリエスの日々 ≪一雲日記≫

いつまでもどこまでも一緒に歩こう!

かごんま滞在期・その4

2011-05-17 | 3~4歳
 3月の地震で、この社会生活というものがいかに危うい基盤の上に成り立っているものか、実感した。地震や津波などの災害ばかりでない。便利な生活のために稼動せざるを得ない原子力発電、それを制御しきれないという事実。被災の中心地のような被害や、集団の避難を経験したわけではないのに、「震撼した」としか言いようがない。

 死というものはいつ来てもおかしくないのに、それはもう少し先の「いつか」であると思ってしまう。地震での損害は少なく、津波もなかった内陸部であってなお、放射能による死というものは十分に起こりうる。そしてもしかすると、すぐそこに来ているかもしれない。その感覚が、心に滲み出してくるように迫ったのだった。

 それより恐れたのは、家族を守れないことだ。アリエスについて考えればさらに厳しい。人間社会の緊急時には、ヒト以外の生き物は訳も分からぬうちに犠牲にされることが少なくない。強制的に避難させられる事態になったり、大きなパニックに巻き込まれたりしたら。避難所にも行けない可能性が高く、一緒に家を出たとしても大渋滞で排泄もままならず、飛行機などもすぐには乗れないだろう。

 アリ男も私も、職場で被災したら仕事の性質から倫理的にしばらく帰途にはつけない。何事も無くてもそこでの安全管理に忙殺され、場合によっては人々が押し寄せる可能性があり、待機せざるを得なくなる。何より大事な家族の安全について、祈ること以外にできなくなるという恐怖。

 その恐怖は、人生の過ごし方に対する考え方を完全に変えた。メディア、噂、デマ、これまでの経験や知識からの、情報の受け取り方。善悪を問うことは難しいが、本当に大事な内容は時が過ぎるまで公にされないのだという学習。それをいかに自分自身で判断して、危険の瀬戸際でなく、いかに手前で家族の安全を確保するのかということ。

 同じくその恐怖は、節電の街を歩きながら激しい悔しさにも変わった。被災地の夜とはどんなであることか。暗く寒く、自分がもっとも恐れる家族の喪失が、そこここに起こった地。これからの日本の再起について、自分も長く努力したいと心から思った。

 アリエスの出かけ先の九州は遠く離れていたけれど、物のパニックは波及していた。まずはカップラーメン、ついで懐中電灯や電池類、そして水。親類に向けて送ったり心配になって買い貯めたりだろう、どの店からもこれらがなくなり、入荷しても購入個数制限がかかった。さすがに回復は早かったけど、なんだかこれも考えさせられた。


 おーシェパードだぁ

 ほんとにお兄ちゃんになったべな

 後ろ姿を超拡大・・・ライオンのお母さんみたいだ 

 筋肉割れてるし、飛んでるし!

 でかいー  

 花は盛り

 真っ盛り