今回も前回記事の続きということになる。
中国漁船衝突の映像をユーチューブに投稿したと自ら告白した神戸海上保安部所属の海上保安官は、引き続き警視庁から任意の取調べを受けてはいるが未だ逮捕はされていない。
警視庁幹部は「逮捕するか任意捜査にとどめるか検察と協議したい」言っているようである。
つまり、あの映像は機密事項にあたるような管理はされていなかったということのようである。乗員10名程度の巡視艇の主任航海士という、云わば普通の海上保安官が簡単に見ることが出来たのであるから、主任航海士の自供は正しいのだろう。
主任航海士は「犯罪を犯した認識はない」といっているそうである。
神戸海上保安部の庁舎内でも巡視艇内のパソコンでもほぼ自由に閲覧することが出来た映像がまさか国家機密に属するなどとは思わなくても不思議ではない。
主任航海士としても公務員として多少は引っかかるものはあったのだろうが、自分たちの仲間が命がけで撮影した映像が陽の目をみることなく闇の中へ封じ込められようとしたことへの「義憤」が動機だったのではないかと私は勝手に想像している。
この問題に対する政府の対応・・・特に仙石官房長官の発言は変だと私は思います。
日本はシビリアンコントロール(政府の文民の指揮のもとに職業軍人である軍隊の最高指揮官が置かれなければならないという近代国家の原則)の国なんですから、海上保安庁だって例外ではなく、文民すなわち国土交通大臣の指揮下にあるわけです。ですから、責任論を云々するのであれば、先ずは馬淵国交大臣の責任を論ずるべきです。菅総理、仙石官房長官、馬淵国交大臣、そして鈴木海上保安庁長官の順に責任が重いと思います。現場の責任者だけに責任を押し付けるのはトカゲの尻尾切りです。コントロールする側により重大な責任があるのは当然ではないでしょうか。政治主導というのは責任も政治家が取るということなのではないでしょうか。
国家機密漏洩の問題だとすれば、テロ対策の極秘資料が流出した警察庁のほうがよりはるかに重大だと思います。岡崎国家公安委員長以下の公安幹部も応分の処分をしなければ片手落ちになると思います。嘆かわしいことですが今の民主党政権には統治能力がないと思わざるを得ないようです。
中国漁船衝突の映像をユーチューブに投稿したと自ら告白した神戸海上保安部所属の海上保安官は、引き続き警視庁から任意の取調べを受けてはいるが未だ逮捕はされていない。
警視庁幹部は「逮捕するか任意捜査にとどめるか検察と協議したい」言っているようである。
つまり、あの映像は機密事項にあたるような管理はされていなかったということのようである。乗員10名程度の巡視艇の主任航海士という、云わば普通の海上保安官が簡単に見ることが出来たのであるから、主任航海士の自供は正しいのだろう。
主任航海士は「犯罪を犯した認識はない」といっているそうである。
神戸海上保安部の庁舎内でも巡視艇内のパソコンでもほぼ自由に閲覧することが出来た映像がまさか国家機密に属するなどとは思わなくても不思議ではない。
主任航海士としても公務員として多少は引っかかるものはあったのだろうが、自分たちの仲間が命がけで撮影した映像が陽の目をみることなく闇の中へ封じ込められようとしたことへの「義憤」が動機だったのではないかと私は勝手に想像している。
この問題に対する政府の対応・・・特に仙石官房長官の発言は変だと私は思います。
日本はシビリアンコントロール(政府の文民の指揮のもとに職業軍人である軍隊の最高指揮官が置かれなければならないという近代国家の原則)の国なんですから、海上保安庁だって例外ではなく、文民すなわち国土交通大臣の指揮下にあるわけです。ですから、責任論を云々するのであれば、先ずは馬淵国交大臣の責任を論ずるべきです。菅総理、仙石官房長官、馬淵国交大臣、そして鈴木海上保安庁長官の順に責任が重いと思います。現場の責任者だけに責任を押し付けるのはトカゲの尻尾切りです。コントロールする側により重大な責任があるのは当然ではないでしょうか。政治主導というのは責任も政治家が取るということなのではないでしょうか。
国家機密漏洩の問題だとすれば、テロ対策の極秘資料が流出した警察庁のほうがよりはるかに重大だと思います。岡崎国家公安委員長以下の公安幹部も応分の処分をしなければ片手落ちになると思います。嘆かわしいことですが今の民主党政権には統治能力がないと思わざるを得ないようです。
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