日々是好舌

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茶の花や照葉樹林文化咲く     白兎

2022年12月03日 11時25分06秒 | 日記


茶の花や照葉樹林文化咲く     白兎
ちやのはなやせいえふじゆりんぶんかさく
茶の花は初冬の季語。
山口県宇部市沖ノ山の古第三紀時代始新世後期(3500万年 ~4500万年前)の地層からチャの葉の化石が発見され、「ウベチャノキ」と命名された。このようなことから、日本種を固有種として位置づける説もあり「日本茶自生論」が提唱されている。
縄文時代晩期の埼玉県岩槻市の真福寺泥炭層遺跡や縄文弥生混合期の徳島県徳島市の徳島浄水池遺跡からチャの実の化石が発見された。九州や四国に、在来(一説には、史前帰化植物)の山茶(ヤマチャ)が自生しているという報告がある。
栄西禅師が著した日本最初の茶の専門書『喫茶養生記』の冒頭には「茶は養生の仙薬、延齢の妙術なり」とあるように、茶が健康と長寿のもとであると説いている。
チャノキは中国南部に自生する灌木で、丈夫な枝、短い茎、細長い葉を持ち、藪や岩だらけの傾斜地などに自生し、0.9~5.5メートルに成長する。インドのアッサム地方に自生するアッサムチャは8~15メートルにも達する高木になる。大きな葉をつけるため茶葉の収量は多い。
現在「茶」の木の原産地は雲南省と四川省に近い山間部とされている。その雲南省の南糯山に「茶樹王」と言われる大木がある。樹齢は八百年、主幹の直径1.08メートル、樹高9メートルといわれている。
後漢から三国の頃に成立した中国の本草書『神農本草経』には、「茶味苦、飲之使人益思、少臥、軽身、明目」の記述がある。
唐の時代(760年ころ)、陸羽(りくう)の記した『茶経』は「茶者、南方之嘉木也(茶は南方の嘉木なり)」で始まっていることから、初期のお茶は南方で始まったと考えるのが定説である。
民族学者・故、佐々木高明博士は、照葉樹林文化論の主要な提唱者の一人。「照葉樹林帯の食物」文化講演会記録から一部を転載しておく。
《照葉樹林帯を象徴する飲み物としては、やはり茶をあげなければならない。サザンカやツバキの仲間である茶樹は、それ自身が照葉樹林の下生えの一部をなす植物だが、その樹葉を緑茶、紅茶に加工して飲むまでには長い歴史があり、その利用の形態にもいろいろの変遷があった。茶樹の起源地でもある東亜半月弧とその周辺の地域には、今も茶葉を発酵させた「噛み茶」や「食べ茶」など珍しいものが残っている。噛み茶の代表は北タイのミエン、食べ茶の典型例はビルマのラペソーだといえるが、いずれも採取してきた茶葉を蒸し、穴の中や竹籠などの中に入れ、密閉して漬け込んだものである。ミエンは発酵の程度が相対的に弱く、キンマのような嗜好品の一種であるのに対し、ラペソーは十分に発酵させた副食品の一種で、まさに食べる茶として用いられている。 しかも、このラペソーのなかには、発酵後、臼の中でよく搗いたあと型に入れ、乾操させ、一種の固形茶を作る慣行もある。固形茶は小さく砕いて煮出して飲むのである。 これとよく似た食品は 日本でも高知県長岡郡大豊町などの山村地帯に残存しており、碁石茶の名で知られている。このような固形茶が「食べ茶」から「飲み茶」へ展開する際の橋渡しの役割を演じたとみることができるのではなかろうか。このほか、照葉樹林帯に共通する固有の食べ物としては、柑橘、シソ、エゴマ、ニンニク、モヤシなど数えあげればきりがない。そのうえ、この地域の食器としては木の椀があり、箸もある。また飯はジャポニカ・ライスを炊くから粘りがあって高盛り飯にできるし、握り飯もしばしば登場する。となると、これはもう日本食のルーツのひとつがそこにある、といっても過言ではない。 飯があり糯があり熟れ鮨・茶・味噌・酒などがある照葉樹林帯は、日本人の食生活のふるさとそのものだということができるのである。》以上転載。画像出典:竹田武史さんのページ。