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日々是好舌

青柳新太郎のブログです。
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菊川の菜飯田楽食べました

2018年06月03日 14時48分40秒 | 日記
江戸時代、金谷宿と日坂宿の間の菊川は、小夜の中山という難所をひかえて急な坂が続くため中世には宿場として栄えましたが、江戸時代には「間の宿(あいのしゅく)」とされ、旅人の宿泊は固く禁じられていました。大井川の川留めがあっても、金谷宿の許可がなければ泊めることができず、本格的な料理を出すこともできませんでした。そんなことから生まれた軽食が、菊川の菜飯・田楽です。

 菊川名物の菜飯・田楽とは、菜を混ぜた飯へ豆腐田楽を菜としたもので、菜飯は大根の葉または小松菜の湯通ししたものを焙烙(ほうろく)鍋で煎り、粉状にして少し塩味をつけ、炊きあがりの飯へ混ぜこんだもの。田楽は、豆腐を軽く絞って、丸く切って二本の串に刺し、味をつけた味噌にまぶして炉の灰の中に立て、あぶって焼いたものです。この焼豆腐は、その形が平安時代から田植えおどりとして流行った田楽舞に似ていたところからこの名がでたといい、のちに豆腐の形は四切に切ったまま串に刺したものに変わりました。

 田楽に用いた焼豆腐が、江戸時代から当地の名物であったことは、『西遊紀行』や『明暦三年の道中記』など多くの書物に記されています。大永二(1522)年『宗長日記』には、「田楽豆腐の盃たび重なりて」とあり、田楽は酒の肴や飯の菜として好まれていたようです。また、『嬉遊笑覧』に、飯の中に野菜を炊き込み、豆腐でつくった田楽をそえて食べることが記されており、菜飯に田楽を添えた「菜飯・田楽」は、寛永時代(1630~)には食されていたことがわかります。

 この菜飯・田楽は、一度途絶えていましたが、最近地元料理人の手によって復活し、伝統食として紹介されるようになりました。金谷の郷土料理店「よし善」でいただくことができます。