日々是好舌

青柳新太郎のブログです。
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丑の日は 穴子を喰って 我慢した

2012年08月06日 14時22分24秒 | 日記
鰻は好物だから月に一度や二度は食べてきた。うな重や櫃まぶしを食いに行く贔屓の店もあった。
ところが、このところの鰻の値上がりときたら正気の沙汰ではない。シラスウナギの漁獲量が激減して鰻養殖は危機に瀕しているのだそうだ。

鰻資源の枯渇は日本だけに限らず、アメリカでも捕獲の規制が強化されているようだ。業界ではインドネシアやヨーロッパ、アフリカのマダガスカル産の鰻を輸入するなどあの手この手を考えているようだが、日本鰻とは似ていて非なるものであることはどうにも誤魔化しようがない。中には大鰻という別の種類の鰻の小さいやつを蒲焼にしてしまおうという商魂たくましい連中もいる。

そんな騒動の中で天然鰻のうな重は一人前で5000円というのだからびっくり魂消る。

今年になってから、いつもの鰻屋でうな重を頼んだら値段は2200円だったが、鰻の大きさが明らかに小さくなっていた。
それですっかり嫌になって、それ以後は一度も鰻屋へ行っていない。

昔から、土用の丑の日に「う」のつく食べ物を食べるとよいという俗信があって、元来は「梅干」でも「瓜」でも「うどん」でも「う」のつく食べ物なら何でもよかったそうであるが、いつの間にやら鰻一辺倒になってしまった。

これは、江戸時代の蘭学者平賀源内が知り合いの鰻屋のために一肌脱いで「本日、土用の丑の日」と書いて店先に貼り出したところ、大繁盛したというのが一般的に流布されている起源説である。

同じように大田蜀山人が「神田川」という鰻屋に頼まれて、土用の丑の日に鰻を食べると病気にならない、と、いう意味の狂歌を作って宣伝したという説もある。その狂歌がどのようなものであったかを知るところではないが、蜀山人は狂歌師としても名手であったからこの説にも肯けるものがある。

大田蜀山人は即ち狂歌師四方赤良であるが、彼の作品「あなうなぎ何處の山の妹と背をさかれてのちに身をこがすとは」の一首は、鰻が背を裂かれて焼かれることと、妹(女)と背(男)が仲を裂かれて身を焦がしていることをかけた歌で、鰻は山芋が変じてなるのだという俗説とを巧く取り合わせた、天明狂歌の名吟とされている。

さて、写真の握り鮨は焼津魚センター内カネトモのものであるが、赤身は本マグロ、白っぽいのはトンボマグロのトロである。
下は煮アナゴの握りで二貫で500円。

今年の土用は鰻を食えない腹威勢に鮨を食って我慢したのである。
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