goo blog サービス終了のお知らせ 

日々是好舌

青柳新太郎のブログです。
人生を大いに楽しむために言いたい放題、書きたい放題!!
読者のコメント歓迎いたします。

坂下延命地蔵堂(さかしたえんめいじぞうどう) その2

2019年08月03日 13時04分47秒 | 日記
坂下延命地蔵堂(さかしたえんめいじぞうどう)

(鼻取地蔵の話)
むかしむかし、ずうっとむかしのこと。ある日、一日の仕事をおえて牛をひいて帰ってきたお百姓(ひゃくしょう)さん。どうしたことか急にひいてきた牛が、いくら手綱(たづな)を引いても動かなくなりおお弱り。 「どうしたものか。困ったな」と思案(しあん)していると一人の子供があらわれた。牛の鼻をとって声をかけたかと思うとらくらくと動かした。 喜んだお百姓さん、ちょっと目をはなしたすきに子供の姿を見失ってしまった。どこへ行ったものだろうと、残った足あとをたどりたどりしていくと、地蔵堂の中まで続いてお地蔵さんの前で消えていた。 さてはお地蔵さんの化身(けしん)の子供だったのかとお百姓さんは驚いたりおそれいったりでした。 このことがあってこのお地蔵さんを、牛の鼻を取ってくれたということから「鼻取り地蔵さん」と呼ぶようになったという。 牛の鼻を取ってくれた、お百姓の手助けをしてくれたというので農家の人々の信仰が厚く、願掛(がんか)けのお礼にあげた鎌(かま)がお堂の中の板壁(いたかべ)にたくさんたてかけてある。中には紙で作ったものも木で作ったものもある。 「お地蔵さんはお百姓さんの守り神」と毎年八月の二十三、二十四日の両日盛んなお施餓鬼(せがき)が今も行われている。

南麼(なうまく)坂下延命地蔵堂

2019年08月03日 12時49分50秒 | 日記

坂下延命地蔵堂(さかしたえんめいじぞうどう)

建立年代、建立者は不明。元禄13年(1700年)に、岡部宿の伊藤七郎右衛門、平井喜兵衛、中野陣右衛門の3人が発願して地蔵堂を再建し、堂内の仏具をそろえ鴻鐘を新たに鋳して鐘楼も建立した。霊験あらたかと村人や近隣の人々に信仰され、その霊験あらたかさを示す二つの伝説「鼻取地蔵」「稲刈地蔵」が残されている。 堂内には地蔵菩薩像が安置されており、この地蔵尊は宇津ノ谷峠を越えようとする旅人の安全を守り、また、堂前の木陰は旅人の疲れを癒した。今でも8月23、24日の大縁日には、串に差した十団子をお供えして供養をしている。また、新盆供養のために遠方からも参拝客が訪れる。


(稲刈地蔵の話)

岡部から丸子に通じる宇津ノ谷の手前の坂下に地蔵堂がある。かつての東海道は難所だったので、旅行く人の守り本尊(ほんぞん)として信仰が厚かった。里人の話によれば、本尊は聖徳太子の作で、霊験(れいげん)あらたかとされている。 いつのころかはっきりしないが、榛原地方に一人のはたらき者の青年があった。よく親に孝行をつくし、仕事もまじめにいっしょうけんめいにやったので、村人はこの青年を「りっぱな者だ。感心だ。」とほめていた。 その年の秋の稲刈(いねか)りの最中のこと、たまたまお伊勢(いせ)まいりの話が出て、仲間からぜひ行こうと誘われた。日頃から信仰の厚かったこの青年も、一度はお伊勢まいりをしたいと思っていたので心はあせった。数反歩(たんぶ)の刈(か)り取りをしなければならない身をなげいて、同行の人々に出かけるについての悩みを語った。広い田の面を見てなげく青年の気持はまことにあわれであった。 夜もねむれぬまま青年は朝早くかまを手に田に出かけた。出かけるまでに刈れるだけ刈ろうとしたのである。 出かけてみて驚いた。田を見れば不思議なこともあるもので、一夜のうちに全部が刈りとられているのである。わが身をうたがい、目をこすり、目をこらして見なおした。たしかに自分の田である。誰が刈りとったのか、きちんと刈ってきちんと干してある。あまりのことに驚きながら家に帰れば出発のまぎわである。あまりの出来事に驚き、それでも大急ぎで準備をしてお伊勢まいりの旅に立った。 道中、何のさわりもなく、無事におまいりもすませた。同行の中に一人だけ府中(ふちゅう)(今の静岡市)から来たという若者があった。道々、旅は道づれとこの若者と親しくなったが、その友人の親切は人並みではなく、はじめて旅をした青年に何くれとなく心を配ってくれた。 青年は不思議な親切をなぞに思いながら、無事年末のお伊勢まいりの夢をはたして帰路についた。が、数日の同行の縁に別れがたい思いから、この若者を府中の途中まで送っていこうとして、旅の話をあれこれとしながら歩いて宇津ノ谷峠の坂下までたどりついた。その時その若者は坂下のお堂の中へ入っていった。青年は「何をしに入ったのだろう」とお堂の中へ後を追ったが、煙のごとく消えて若者の姿はなかった。 あまりのことに驚いて今までのことを思いかえした。出発前の稲刈りのこと、お伊勢まいりの道中の親切などから、青年は、はたと気づいた。「この若者はお地蔵様の尊(とうと)いお姿の変わり」だったのである。 青年はこの事があった後、なおも一層仕事に精を出した。話を伝え聞いたこの地方の村人もお地蔵まいりを熱心にし、願掛(がんか)けをしたり、いろいろな奉納をしたりした。お堂の壁に農器具のかまやくわが掛けてあるのは、農事の豊作祈願の名残りだといわれる。また、このお地蔵様は「鼻取り地蔵」とも呼ばれて、別の言い伝えも残されている。






やつがれは弱り八月盆の暮れ

2019年07月22日 20時02分19秒 | 日記

◆氏素性糺せば怪し兜虫
(よみ)うじすじょうただせばあやしかぶとむし
氏素性とは生れや家柄、家系、経歴ということ。兜を被るのは一廉の武将ということだが、カブトムシは牛糞堆肥などに生ずるものだから氏素性は必ずしも誇れるものではない。季語は「兜虫」で夏。

◆鶴嘴を提げて九字切る油照り
(よみ)つるはしをさげてくじきるあぶらでり
風がなく、薄日がじりじりと照りつけて、じっとしていても汗のにじみ出るような天気を油照りという。鶴嘴は土工具。九字を切るとは「臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前」の九字の呪文と九種類の印によって除災戦勝等を祈る作法である。季語は「油照り」で夏。

◆兜虫愚直の糸を張り通す
(よみ)かぶとむしぐちょくのいとをはりとおす
カブト虫に糸を付けて放っておくと逃げたい一心で糸は真っすぐに伸びます。季語は「兜虫」で夏。

◆ぬばたまの夜風がよどむ稲の花
(よみ)ぬばたまのよかぜがよどむいねのはな
射干玉(ぬばたま)はヒオウギの種子。球形で黒く光沢があることから黒・夜・髪・夢・夕・宵などに掛る枕詞になっている。季語は「稲の花」で夏。

◆炎天の短き影が杭を打つ
(よみ)えんてんのみじかきかげがくいをうつ
炎天下では太陽は真上にあるので影は短くなる。その短い人影が杭を打っているという状景。掛矢を振るっているのは私です。俳句は一人称の文芸です。季語は「炎天」で夏。

文月の駄句を色紙に蚯蚓書き

2019年06月19日 12時57分07秒 | 日記

◆宿六と呼ばれて久し梅雨籠り
(よみ)やどろくとよばれてひさしつゆごもり
宿六とは「宿の碌でなし(ろくでなし)」の略で、『宿』は妻が夫のことを他人に言う際に使う俗称である(現代だと『あの人』『うちの人』など)。つまり、宿六とは仕事をしない甲斐性なしの夫など、ろくでなしな夫を妻が他人に罵る際に使う言葉である。馬鹿亭主など、こうした夫を罵る言葉は時折親しみを込めて使われることもあるが、宿六も同様に親しみを込めて使われる場合もある。季語は「梅雨籠り」で夏。

◆海匂ふ港小路の夏つばめ
(よみ)うみにほふみなとこうぢのなつつばめ
焼津漁港や用宗漁港の風景です。季語は「夏つばめ」で夏。

◆望郷の祭囃子を口ずさむ
(よみ)ぼうきょうのまつりばやしをくちずさむ
神社の祭礼の際に、山車(だし)や屋台の上などで行われる囃子。多く太鼓・笛を主にして、鉦(かね)をあしらう。祇園祭の囃子は「コンチキチン」。季語は「祭囃子」で夏。

◆泡に噎せ旅のラムネに涙ぐむ
(よみ)あはにむせたびのらむねになみだぐむ
昔、松本城で飲んだラムネが美味しくていつまでも記憶に残っている。季語は「ラムネ」で夏。

◆吉野家の牛で乗り切る土用かな
(よみ)よしのやのうしでのりきるどようかな
土用の丑の日には「う」の付く食べ物を食うのがよいとされている。そこで鰻を食うのだが近頃ではシラス鰻が不漁で鰻の価格は高騰している。「う」の付く食べ物は、梅干し・瓜・饂飩・ウズラの卵など幾つもあるから鰻が食えずともちっとも困らない。季語は「土用」で夏。春夏秋冬それぞれに土用はあるが、普通、土用といえば夏の土用 のことである。

倍助を担いだ腰がまた痛む

2019年06月03日 07時25分55秒 | 日記
 「倍助」は「ばいすけ」ではなくて「パイスケ」である。英語の「basket」がパイスケに訛ったものという。つまり、パイスケは籠(かご)である。漢字表記は当て字であるが、これを使えば2倍の仕事ができるという意味もこめられている。

 パイスケには1番、2番、3番とあってそれぞれ大、中、小のサイズである。1番パイスケよりもさらに大きな鋸パイスケと呼ばれるものもある。因みに2番パイスケの口径は58センチ、深さは20センチである。

 パイスケは、篠竹もしくは根曲がり竹を小割にしたヒゴをそのまま編んだもので廉価である。そのパイスケの代表的な用途が石炭荷役の「てんぐどり」である。北九州の若松港を舞台にした古い映画で見た記憶があるのだが、岸壁から汽船に架け渡したタラップに並んだ仲仕たちが石炭を盛ったパイスケをバケツリレーよろしく手から手へと渡して運ぶのである。これは石炭を燃料にした蒸気船時代の話である。なお、「てんぐどり」は漢字で書くと伝供取りであり、神仏へ手渡しで供物を供える伝供(でんく)が語源であり手渡しで物を運ぶことをいうのである。

 パイスケは現在でも野菜の収穫などに利用されており、竹製品のパイスケも生産されているが、石箕などと同様にプラスチック製品におきかえられているのが実情である。

 それでは、私たち土方の使い方を説明しよう。土木工事の現場でも運搬距離が短い場合は「てんぐどり」も行った。しかし、多くの場合は天秤棒の前後に担って運んだものである。前後に二つ、つまりここに倍助の「倍」の意味がある。

 パイスケに4箇所つけられた二本の吊縄は担ぎ手の腕の長さに合わせてある。パイスケで運ぶ物は主に土や砂や砂利である。目的の場所に着くとパイスケの吊縄へ手をかけてパッと裏返しにして手際よく荷物を降ろすのである。

 序のことだから天秤棒にも触れておく。

 天秤棒は「荷い棒・にないぼう」ともいう。金魚売りや風鈴売りなどの行商人が品物を担う道具である。と、いうよりも一心太助が魚の入った桶を担いだ棒、あるいは下肥の入った肥桶を担う棒であるといったほうが解り易いだろう。

 長さ2メートル前後の堅木で作り、肩に当たる部分の断面は横の長円形、荷を吊る先端部分は縦の長円形に作ってある。先端に近いところに吊縄が外れないように突起がつけてある。

 天秤棒は荷物を担ったときに適度に撓るものがよい。安倍川あたりの工事現場では棕櫚の材を孟宗竹で挟んだ複合材の天秤棒を使用した。これは和弓の構造を考えていただくと解り易いと思う。棕櫚の天秤棒については私が親しくしていた土建業界の古老から直に聞いた話である。

◆パイスケてんこ盛りで天秤撓る   白兎


(写真は三島市役所教育部郷土資料館の資料より拝借いたしました)
 

水無月の句を悪筆で書きました

2019年05月24日 17時00分13秒 | 日記

◆琴爪の象牙の肌に梅雨湿り
(よみ)ことづめのぞうげのはだにつゆじめり
フェイスブックの友達に琴・三味線・尺八を教えているお師匠さんがいます。素人の私が訊いても解からない話ばかりです。季語は「梅雨湿り」で夏。


◆資本論嘯く雨の夜の麦酒
(よみ)しほんろんうそぶくあめのよのびーる
『資本論』とは、カール・マルクスの著作。1867年マルクスみずからの手によって第1巻が世に問われたが,第2巻は死後の 85年に,第3巻は 94年に,盟友 F.エンゲルスによって遺稿が整理,編纂され出版された。季語は「麦酒」で夏。


◆緑陰へ睡魔手招く荒むしろ
(よみ)りょくいんへすいまてまねくあらむしろ
仕事師には「三尺寝」といって昼飯の後に短い睡眠をとる習慣がある。木陰に荒筵でも敷いてあれば申し分ない。季語は「緑陰」で夏。


◆泡盛や琉歌短く恋を叙す
(よみ)あわもりやりゅうかみじかくこひをじょす
泡盛は琉球地方の蒸留酒。鹿児島から焼酎になる。琉歌(りゅうか)は、奄美群島・沖縄諸島・宮古諸島・八重山諸島に伝承される叙情短詩形の歌謡である。和歌と同様にウタとも言われる。詠むための歌であると同時に謳うための歌でもある。奄美群島においては、主に島唄と呼称される。主に八・八・八・六形式で、 叙情的な内容のものが多い。一般に三線(さんしん)を伴奏に歌われる。季語は「泡盛」で夏。


◆羅のうしろ姿に夜の匂ひ
(よみ)うすもののうしろすがたによのにほひ
粋なお姐さんが香水を匂わせて夕方に出勤するという景です。薄物とは、たて糸とよこ糸の密度が粗く、透ける生地の総称です。上布(じょうふ)、紗(しゃ)、絽(ろ)が一般的に挙げられます。厳密には7月と8月に盛夏用の薄物(うすもの)を着るとされています。季語は「羅」で夏。


悪筆で五月の俳句書きました。

2019年04月22日 20時03分47秒 | 日記

◆能弁の姥音頭とる茶摘唄
(よみ)のうべんのうばおんどとるちゃつみうた
能弁は話が上手で、よくしゃべること。茶処では茶摘み時には年寄りも活躍します。
季語は「茶摘唄」で暮春。

◆蕗を煮て三千世界匂はしむ
(よみ)ふきをにてさんぜんせかいにほわしむ
蕗を煮ると家中に匂いが充満します。三千世界とは簡単に言えば全宇宙ということです。
季語は「蕗」で初夏。

◆サイダーの泡やるせなき別れかな
(よみ)サイダーのあわやるせなきわかれかな
泡沫(うたかた)の恋というやつです。若いころですがサイダーを飲んで別れた人がいました。
季語は「サイダー」で夏。

◆陸墨の糸を惑はす麦嵐
(よみ)ろくずみのいとをまどはすむぎあらし
陸墨は水平を示す基準の墨です。墨壺の墨綿に染み込ませてある墨汁で墨糸を弾いて打ちます。麦嵐は麦秋の頃に吹く強い風です。
季語は「麦嵐」で初夏。

◆日雇に子宝多し蝮酒
(よみ)ひやとひにこだからおほしまむしざけ
土方仲間に子沢山の人がいてあまりに多過ぎて子供のいない人へ養子に出したそうです。その御仁は現場でマムシを捕らえると焼酎に浸けてマムシ酒にして飲用しているそうです。精力剤の赤マムシドリンクみたいなものでしょうね。
季語は「蝮酒」で夏。

俳友の 大方宗太 追悼す

2019年03月27日 08時30分59秒 | 日記
 現代俳句協会のインターネット俳句会一般の部会員名簿G2に大方宗太氏の名前を見つけた。NO.321 会員番号は711である。氏は10数年前すでに亡くなっている。俳句協会の騒動で私が槍玉に挙げられたときは私の強力な支援者であった。大方宗太は言うまでもなく”おおかたそうだ”の洒落である。

春来るらしプピと音するからだかな  大方宗太

 ネット検索してヒットした彼の定型俳句作品は現代俳句協会インターネット俳句会に投句されたこの句一句のみであった。

「77歳になっちゃいました。やだねえ。子犬と暮らしています。俳句はやったことがある程度です。」と、会員名簿のコメントには書いてある。

 このコメントはかなり謙遜しているのであって、氏は島田市に本拠を置く自由律俳句『主流』の会員であり、島田市史編纂委員でもあった。

 「主流」は田中波月が昭和二十一年五月に創刊した。
「俳句も文学である限り、手法以前の人間的心構えが重要だ…私は、俳句に心身をぶち込んで、そのジャンルにおける「文学」…「哲学」を探り出したいと懸命になっていた」とある。

哭くはうつくし八月十五日の夜の花火だ  波月
霜の夜の皿はかさねて寝てしまう     〃

波月没後、子息の田中陽が継いで今日に至っている。

 その主流社が1991年(平成3年)発行の『主流俳句選集 Ⅱ』の【自選作品】の中に赤堀碧露、植田次男、漆畑利男、加藤太郎(元島田市長)、田中 陽、津田正之、山本芒原各氏に並んで松下三郎氏の名前が見える。ただし、この本が私の手元にあるわけではなくネット検索で得た情報である。したがって大方宗太こと松下三郎氏の自由律俳句作品をここで知ることはできない。

 氏はまことに正体不明の老人であった。コメントにある子犬というのは彼がそれまで飼っていた犬を大井川堤防の上で交通事故で失ったために新たに飼った犬である。ところが、77歳の老人が子犬を飼っても飼い主のほうが先に死んでしまうのではないかと、お節介なネット仲間からクレームをつけられて、悩んだ末に出した結論は10万円の持参金をつけて新しい飼い主を探すということであった。新しい飼い主は直ぐに見つかって子犬は持参金10万円とともに引き取られていった。私が松下老人と知り合ったのは丁度この子犬騒動の最中であった。

 島田市の自宅を訪ねたことも数回あるし、我が家へもお招きしたこともある。77歳にしては極めて壮健であり健啖家でもあった。松下老人は若いころに大井川上流の南アルプス山麓から材木を運び出す仕事に従事していたそうである。このあたりの顛末は『青柳新太郎随筆集・犬の系譜』に記述がある。

 郷土史に造詣が深く、特に弓道に関する研究は熱心にされていて、ご本人も弓を引いていたそうである。

 私の手元に平成17年9月発行の『主流』No.601号がある。その28ページに「波月40回忌句会」の作品があるのでここに記しておく。

呼ばれるまでの時間は蝉を鳴かせておく  松下三郎
山頭火を真似て蜘蛛の巣にひっかかる   松下三郎

 また、2006年(平成18年)2月、口語俳句協会発行の『俳句原点』No.117号44ページに、

木の橋の長さだけ俳句を考える     松下三郎

の句を見ることができる。ここでいう「木の橋」とはギネスブックにも載っている世界最長の木橋『蓬莱橋』のことであって、大井川河川敷にある田中波月の句碑にも近い。

 生前の大方宗太こと松下三郎氏には奇行めいたエピソードも数々あって話題はつきないのであるが、氏の名誉にもかかわることなのでこの辺で止めておく。

ふつつかな四月の俳句書きました

2019年03月16日 15時56分13秒 | 日記

◆よろず屋に売れぬ目刺が反り返る
(よみ)よろずやにうれぬめざしがそりかへる
田舎の商店では酒・食品・日用品何でも売っている。鮮魚は置いてないが目刺や味醂干しや麹漬など日持ちのするものは置いてある。工事現場ではお茶を沸かす焚火の熾火で目刺を焼いてたべたものである。
季語は「目刺」で春。」

◆春うらら犬へ宛名の葉書着く
(よみ)はるうららいぬへあてなのはがきつく
生後90日を超えた犬は、30日以内に登録し、毎年1回(4月~6月)に狂犬病予防注射を受けさせることが、狂犬病予防法でその飼い主に義務付けられています。
我が家の愛犬、秋山・ジョン・万次郎と秋山チィー坊にも毎年通知が届いていました。
季語は「春うらら」で春。

◆活断層走るあたりの山笑ふ
(よみ)かつだんそうはしるあたりのやまわらふ
糸魚川静岡構造線は、親不知(新潟県糸魚川市)から諏訪湖を通って、安倍川(静岡市駿河区)付近に至る大断層線で地質境界でもある。
「山笑ふ」とは、俳句における春の季語で、春の山の明るい感じをいう。 郭煕の画論『臥遊録』の「春山淡冶にして笑うが如く、夏山蒼翠にして滴るが如く、秋山明浄にして粧うが如く、冬山惨淡として眠るが如く」に拠るとされている。
季語は「山笑ふ」で春。

◆春暁の雀に聴かすヴィヴァルディ
(よみ)しゅんぎょうのすずめにきかすビバルディ
アントニオ・ルーチョ・ヴィヴァルディは、ヴェネツィア出身のバロック後期の作曲家で、ヴァイオリニスト。代表曲は「四季」。クラシックのCDを持っているので朝早くから聴くことがあります。
季語は「春暁」で春。

◆蜃気楼見えぬ魚津に飲み明かす
(よみ)しんきろうみえぬうおづにのみあかす
《蜃(大ハマグリ)が気を吐いて楼閣を描くと考えられたところから》大気の下層に温度などの密度差があるとき、光の異常屈折により、地上の物体が浮き上がって見えたり、逆さまに見えたり、遠くの物体が近くに見えたりする現象。海上や砂漠で起こる。日本では富山湾で見られる。海市(かいし)ともいう。
蜃気楼を見ようと魚津まで行ったが全然見ることができなかったので不運を嘆きながら飲み明かしたことがある。季語は「蜃気楼」で晩春。


三月の俳句色紙に書きました

2019年02月23日 14時38分57秒 | 日記

◆葱ぬたの葱が孕みし葱坊主
(よみ)ねぎぬたのねぎがはらみしねぎぼうず
葱は冬の季語ですが葱坊主は晩春の季語になります。酢味噌で和えた葱ぬたの茎が葱坊主を孕んでいると季節の移ろいを感じます。
季語は「葱坊主」で春。

◆黄塵を侮りがたき世となりぬ
(よみ)こうじんをあなどりがたきよとなりぬ
中国大陸の奥地の黄土高原に舞い上がった砂ぼこりが日本まで届いて降るのが黄塵・黄砂です。最近では中国におけるPM2.5などによる深刻な大気汚染の発生を受け、大陸の大気汚染が影響して日本のPM2.5濃度が上昇し、健康に影響を及ぼすのではないかと心配されています。季語は「黄塵」で春。

◆木か草か独活の薀蓄酒すすむ
(よみ)きかくさかうどのうんちくさけすすむ
独活の大木、箸にもならない・・・などといいますが、ウド(独活)は、ウコギ科タラノキ属の多年草。香りが強く、山菜や野菜として好まれる。酢味噌で生食したり金平に炒めたりしても美味しいです。山独活の天ぷらなんかは最高です。季語は「独活」で春。

◆正座して小直衣雛に対面す
(よみ)せいざしてこのうしびなにたいめんす
雛人形をたくさん集めている友人がおります。毎年、雛祭りに招かれてご馳走を頂いたり、俳句を作ったりしています。
季語は「雛」で春。

◆浜岡や春風ゆるり発電す
(よみ)はまおかやはるかぜゆるりはつでんす
遠州地方には風力発電の風車がたくさんあります。私は原子力発電には反対ですから、水力・風力・潮力・太陽光などによる電力供給を期待しています。
季語は「春風」で春。