杏子の映画生活

新作映画からTV放送まで、記憶の引き出しへようこそ☆ネタバレ注意。趣旨に合ったTB可、コメント不可。

彼らは世界にはなればなれに立っている

2023年06月03日 | 
太田愛(著) KADOKAWA (出版)

“始まりの町”の初等科に通う少年・トゥーレ。ドレスの仕立てを仕事にする母は、“羽虫”と呼ばれる存在だ。誇り高い町の住人たちは、他所から来た人々を羽虫と蔑み、公然と差別している。町に20年ぶりに客船がやって来た日、歓迎の祭りに浮き立つ夜にそれは起こった。トゥーレの一家に向けて浴びせられた悪意。その代償のように引き起こされた「奇跡」。やがてトゥーレの母は誰にも告げずに姿を消した。消えた母親の謎、町を蝕む悪意の連鎖、そして、迫りくる戦争の足音。「相棒」の人気脚本家がいま私たちに突きつける、現代の黙示録!(「BOOK」データベースより)


『犯罪者』『幻夏』『天上の葦』に続く第四作ですが、これまでとは全く毛色の違う作品です。架空の時代、架空の町に住む住人の物語で、ファンタジー色が濃いけれど、差別や自由の剥奪といった根源的な問題を鋭く突いていて、とても深くて重い内容になっています。

「塔の地・始まりの町」の住民たちは、昔の栄華と自分がこの町の人間であることを何よりも誇りに思っています。一方で、この町の生まれではない他所の地からやってきた者たちを「羽虫」と呼んで蔑み差別していました。

第一章 始まりの町の少年が語る羽虫の物語
第二章 なまけ者のマリが語るふたつの足音の物語
第三章 鳥打ち帽の葉巻屋が語る覗き穴と叛乱の物語
第四章 窟の魔術師が語る奇跡と私たちの物語

トゥーレの父は「町の人間」で母は「羽虫」でした。20年ぶりにやってきた客船の歓迎の祭りの夜、母が失踪します。この事件をトゥーレ、映画館の受付のマリ、鳥打ち帽を被っている葉巻屋、窟に住む魔術師の4人それぞれの視点で語られる物語は、町の、ひいてはこの世界の歪んだ状況を映し出していきます。

「始まりの町」から中央府が移り、鉄道が廃線となり、「日報」が「週報」となり・・と町が確実に廃れていく中で、住民たちは過去の栄光をよすがに「羽虫」を差別することで己の矜持を保っているように見えます。
トゥーレの母アレンカは、市場の食料品に手を触れることを許されず、お針子の腕は誰よりも上なのに低賃金に甘んじており、トゥーレ自身「羽虫の子」と虐められ、中等科に進むより働こうかと迷っています。父親はそんな母子の状況を気付かぬ振り、というか認めたくないように見えます。

祭りの夜の出来事がアレンカに町を出ることを決意させます。トゥーレは船の甲板に母の晴れ着姿を見て彼女の決意を知り黙認することを選びます。母は息子を守るために、息子は母を守るために選んだのです。しかしこの夜の真相はずっと悲惨で惨たらしいものだったのです。

噓つきのマリ、怠け者のマリと呼ばれた彼女は褐色の肌をしていたため「色付きの羽虫」と蔑まれてきました。実はマリは町の権力者である先代の伯爵が他所の地で産ませた子供で当主の義妹にあたるのですが、それは秘密とされ、羽虫の孤児としてずっと虐げられて育ちます。無実の罪を着せられそうになって監獄に入れられ、看守や判事・警察署長から酷い扱いを受け、映画館の受付となってからもその地獄は続いていました。マリの記憶の中の唯一の安らぎは雪の思い出と曲芸団の小人との思い出です。雪の降る夜に惨たらしい最期を迎えるマリですが、幸せな記憶を抱えたまま逝ったのかもと思えることが救いです。

葉巻屋は、アレンカが亡くなっていることやマリの秘密も知っていますが口を閉ざします。伯爵の養女(実質は愛人)のコンテッサに協力して、彼女の秘密も知ることになるのですが、彼はあくまで傍観者の立場を崩さず、コンテッサの計画が実行される前日に町を去ります。コンテッサは中央府の意図に危惧を抱き羽虫のための町を作ろうと画策して、怪力を抱き込んで伯爵の殺害を企てますが、密告により二人とも命を落としてしまいます。後日葉巻屋は青年になったトゥーレから二人の死を知らされます。彼女は破滅に進んでいく現状を感じ取り抵抗を試みて失敗したのです。

魔術師は、トゥーレや町の人からは仕掛けがバレバレの奇術師と認識されています。彼が中央府が禁書とする書物を町の人から「破棄する」と言って貰い受けた本を、トゥーレは子供の頃から借り受けては読んでいました。マリや葉巻屋も彼の窟を度々訪れており、魔術師こそは物語全体を把握する人物です。幼い頃、恐ろしい悪事の片棒を担がされ彷徨っていた彼を拾って一座に加えてくれたのは砂時計の絵の荷馬車の座長のフォアティマでした。座員のシャム双生児や小人、髭女に棘男、骸骨男たちは、異様な外見をしていますが、中身はよほど人らしい心を持っています。一座の中で束の間の幸せな時間を過ごしたものの、別れの時が訪れます。贖罪の旅に出た彼は、ある時死人を生き返らせるという決して許されない罪を犯し、罰として不死を与えられたのでした。死者からの切迫した願いの声が聞こえる魔術師は、アレンカの願いを叶えるため、怪力に協力を求めていました。コンテッサや葉巻屋も気付いていました。アレンカの死に深く関わっていたのは義弟であるスベン(トゥーレの父の弟)です。恨みや憎しみがどんなに醜く人を変えるのかを体現したようなキャラでした。

戦争が始まり、初めに羽虫たちが、遂には町の若者が徴兵されていきます。町(中央府)への忠誠心を育てるための種はずっと前から蒔かれていて、気付かぬうちに住民の心を支配していました。このくらい大したことではないと譲歩を続けるうちにがんじがらめの状況が作り出されていったのです。トゥーレも、彼の友人のカイも出征し何年か過ぎたある日、魔術師の窟をカイが訪れ「トゥーレもおっつけ戻る」と話し、中央府で拾った羽虫の子ナリクの面倒を魔術師に頼みます。ここまで読んで、カイはもう生きていないのだなと気付くことになります。
そして序章のトゥーレの描写を思い出して彼もまた亡くなっているのだとわかるのです。

お祭りの夜の写真に写っていた中で、生き残っているのは町から逃げ出した葉巻屋と魔術師の二人だけです。伯爵は敵方に捕まり憤死、トゥーレの一家も、マリ、コンテッサ、怪力、パラソルの婆さん(この人も若い頃に夫を殺され羽虫となっています)、赤毛のハットラ一家(父親が羽虫)、カイ(マリを慕っていた彼は自分の父親がマリに行っている所業を知り苦しみました)
爆撃で破壊された町に戻ったトゥーレの魂は、母が眠る場所へと向かいます。

小説自体は架空の世界の物語であるのに、描かれているのはまさに私たちの社会そのものに思えてきます。
「羽虫」に「部落民」と呼ばれ差別されてきた人々を重ねた時、出自という理不尽な差別や偏見を当然のように受容してきた歴史を思い、それが今なお生き続けていることに恐怖すら覚えます。身分差別は時の為政者が、平民の不満や絶望の捌け口に利用してきたことは疑いようもない事実です。そのような歪んだ権力に対して、人々は見て見ぬふりをしてきました。自分や家族を守るための諦めでもあり、逆らわずに従う方が遥に楽な道だったから。

経済が停滞する今、貧富の差が確実に広がっている今、安い賃金の労働力に圧迫される今、この社会の中でも密やかな憎悪が芽吹いているように思えます。犯罪という形でなくとも、心の奥底に潜む他者への憎悪は増幅されているように思えてなりません。でもだからこそ、諦めずに声を上げ続けること、唯々諾々と従うことを良しとすることから立ち止まって考えることが必要なのだと思います。

この物語の中で、唯一希望と感じられるのはナリクの存在です。魔術師と共に町を出る彼の未来に光があることを願わずにはいられません。

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