2021年2月11日公開 126分 G
冬の旭川刑務所でひとりの受刑者が刑期を終えた。刑務官に見送られてバスに乗ったその男、三上正夫(役所広司)は上京し、身元引受人の弁護士、庄司(橋爪功)とその妻、敦子(梶芽衣子)に迎えられる。
その頃、テレビの制作会社を辞めたばかりで小説家を志す青年、津乃田(仲野太賀)のもとに、やり手のTVプロデューサー、吉澤(長澤まさみ)から仕事の依頼が届いていた。取材対象は三上。吉澤は前科者の三上が心を入れ替えて社会に復帰し、生き別れた母親と涙ながらに再会するというストーリーを思い描き、感動のドキュメンタリー番組に仕立てたいと考えていた。生活が苦しい津乃田はその依頼を請け負う。しかし、この取材には大きな問題があった。三上はまぎれもない“元殺人犯”なのだ。津乃田は表紙に“身分帳”と書かれたノートに目を通した。身分帳とは、刑務所の受刑者の経歴を事細かに記した個人台帳のようなもの。三上が自分の身分帳を書き写したそのノートには、彼の生い立ちや犯罪歴などが几帳面な文字でびっしりと綴られていた。人生の大半を刑務所で過ごしてきた三上の壮絶な過去に、津乃田は嫌な寒気を覚えた。
後日、津乃田は三上のもとへと訪れる。戦々恐々としていた津乃田だったのだが、元殺人犯らしからぬ人懐こい笑みを浮かべる三上に温かく迎え入れられたことに戸惑いながらも、取材依頼を打診する。三上は取材を受ける代わりに、人捜しの番組で消息不明の母親を見つけてもらうことを望んでいた。
下町のおんぼろアパートの2階角部屋で、今度こそカタギになると胸に誓った三上の新生活がスタートした。ところが職探しはままならず、ケースワーカーの井口(北村有起哉)や津乃田の助言を受けた三上は、運転手になろうと思い立つ。しかし、服役中に失効した免許証をゼロから取り直さなくてはならないと女性警察官からすげなく告げられ、激高して声を荒げてしまう。さらにスーパーマーケットへ買い出しに出かけた三上は、店長の松本(六角精児)から万引きの疑いをかけられ、またも怒りの感情を制御できない悪癖が頭をもたげる。ただ、三上の人間味にもほのかに気付いた松本は一転して、車の免許を取れば仕事を紹介すると三上の背中を押す。やる気満々で教習所に通い始める三上だったが、その運転ぶりは指導教官が呆れるほど荒っぽいものだった。その夜、津乃田と吉澤が三上を焼き肉屋へ連れ出す。教習所に通い続ける金もないと嘆く三上に、吉澤が番組の意義を説く。「三上さんが壁にぶつかったり、トラップにかかりながらも更生していく姿を全国放送で流したら、視聴者には新鮮な発見や感動があると思うんです。社会のレールから外れた人が、今ほど生きづらい世の中はないから」。その帰り道、衝撃的な事件が起こる・・・。(公式HPより)
直木賞作家の佐木隆三が実在の人物をモデルに綴った小説「身分帳」を原案に、舞台を現代に置き換え、人生の大半を裏社会と刑務所で過ごした男の再出発の日々を描いた人間ドラマで、監督は「ゆれる」「永い言い訳」の西川美和。
津乃田は若手テレビディレクターでしたが、小説を書きたいと職を離れていたところを、やり手のプロデューサー吉澤から声を掛けられます。彼女は社会に適応しようとあがきつつ、生き別れた母親を捜す三上の姿を追って感動ドキュメンタリーに仕立て上げようとします。三上にもっともらしい取材動機を語りながら、本当の目的は視聴率なんですね。チンピラに絡まれている男性を助けた三上はチンピラを執拗にぶちのめします。彼の行動をカメラに撮っていた津乃田が、三上のあまりにも生き生きと暴力を振るう姿に恐れをなして逃げ出しますが、吉澤は「間に入るか助けを呼ぶこともせず、かといってカメラを最後まで回すこともせず逃げ出したあんたは何者にもなれない」と糾弾します。彼女はまさにTVという世界の人間であり、その目的も良し悪しは別として明確なのですね。
吉澤と違い、実際に三上と会話し彼の一挙一動を目の当たりにしてきた津乃田は、一度ぶち切れると手がつけられないトラブルメーカーの半面、他人の苦境を見過ごせない真っ直ぐな正義感の持ち主な三上を次第に受け入れていくのですが、だからこそ彼の暴力行為がショックだったのでしょう。取材も母親探しも没になり、教習所でもなかなかハンコを貰えずで、半分やけになった三上は、昔の兄弟分に連絡を取ります。
下稲葉(白竜)は九州のヤクザの組長ですが、三上を快く迎え入れ、上げ膳据え膳のもてなしをします。しかし組は暴対法の煽りで弱体化しており、下稲葉自身も糖尿病の悪化で片足の膝下を切断していました。(日本酒に見せかけ中身は健康水というのも彼のプライドなんですね)
津乃田から、かつて自分がいた養護施設と連絡が取れたとの知らせを受けた三上が目にしたのはパトカーに取り囲まれている下稲葉宅。慌てて駆け寄ろうとした彼を引き止めた下稲葉の妻・マス子(キムラ緑子)は、「あなたはまだやり直せる、シャバは世知辛いけれど空は広い」と慰められ、東京に戻ります。
津乃田は三上を知る中で、彼の暴力性の原因が幼少期の親との関係にあると考えるようになります。庄司の家に招かれた三上が子供を養子に出す親の事情を伝えるニュースを見て感想を問われた時に「でも結局棄てたんだろ」と言う場面があります。一方で、棄てられたのだと心の奥底で気付いていても母を慕う気持ちの方が勝り、母の行為を正当化して自分が施設を飛び出した後で母は迎えにきたと語ってもいるのです。
津乃田と養護施設を訪れた三上ですが、既に過去の資料は処分されたあとで、せめてもと昔施設で働いていたという女性を紹介されます。お互いに相手の記憶はなかったものの、施設の歌を通してその存在を確かめ合うシーンが泣けます。施設の子供たちと遊ぶ中、突然地面に突っ伏して泣き出す三上。この時彼は元のヤクザな生活には戻らない覚悟を決めたのかもしれないなぁ。同時に津乃田もまた三上の歩んできた人生をいつか文章に綴ろうと決意します。津乃田の語り、彼の目線で物語が進んでいくのもそのためですね。
三上は高血圧の持病を持ち薬が手放せません。ストレスも持病悪化の原因になるため医師は安静を勧めますが、それでは暮らしていけません。庄司の口添えで生活保護を受けることができましたが、それを良しとはせず自分で稼ごうと職探しをするものの、前科者に厳しい現実が待っていました。運転免許の再発行を思い立ったものの、彼の運転はとても合格点には及ばない乱暴なものでした。教習所のエピソードはコメディタッチで笑えます。 刑務所に入る前の運転ってどんだけ乱暴だったんだ??
スーパーの店長の松本とは万引きの疑いをかけられたことがきっかけで親しくなります。自分も過去に世間をはみ出したことのある松本は、三上を心底案じ、時には辛辣な忠告もしてくれる人物です。
ケースワーカーの井口も三上の真面目で几帳面な人柄や生活を知り、彼を応援するようになります。井口の紹介で、老人介護施設で働くことになった三上は、自分を支えてくれた人たちに今度こそカタギの人生を歩むと誓って真面目に働き始めます。
周囲の人間に恵まれ、新しい人生が拓けるかに見える展開に、天邪鬼な自分は「この先に暗転する事態がくるんじゃないの?」と疑心を持ちつつドキドキしながら続きを観ました。結果としてその予想は当たってしまいますが、また犯罪に手を染めるのでは?という危惧は外れました。
三上は介護士の阿部(田村健太郎)と親しくなりますが、彼には知的障害があり、他の介護士から陰湿ないじめを受けていたのです。いじめの現場を目撃した三上は頭の中で暴力で撃退する妄想を抱きますが我慢します。介護士たちが阿部を笑いものにした時も思いとどまります。その日の帰り、嵐が来そうだからと積んだ秋桜を阿部から貰い、泣きながら帰路についた三上の胸中を去来したのは怒り?それとも自分への情けなさでしょうか?
元妻・久美子(安田成美)から電話がかかってきます。実は三上は免許センターで偶然久美子を見かけ、彼女の家に行ったのですが、彼女が再婚したことと、彼が服役している間に娘を産んだ事を知り、黙って帰ってきたことがありました。(おそらくは娘から三上の事を聞いたのでしょう)久美子から今度一緒に食事しようと誘われて幸せな気持ちになった三上ですが、その夜発作(おそらく心筋梗塞ですね)を起こし還らぬ人になってしまったのです。 高血圧であることは何度も出てきますし、九州で性接待を受けた時も機能しなかったエピソードもあり伏線になっていました。
翌日、異変を知り駆けつけた津乃田は、警察が現場検証をしている部屋で、阿部からもらったコスモスを握りしめたまま事切れている三上を見て取り乱し号泣します。同じくアパートに駆け付けていた庄司夫妻、松本、井口・・・彼らは間違いなく三上を悼んでいました。
三上は長く社会のレールを外れた人間でしたが、そんな人が社会で生きていく難しさがしっかり描かれています。それでも彼を理解し応援する人たちも確かに存在したのが救いになっていました。殺人を犯したこと、暴力を正当化してきたことは罪としても、彼には人への優しさや見て見ぬ振りのできない正義感も確かに存在していました。そういう意味ではいじめをしたり障害者を嗤う者たちの方がよほど悪人に見えました。少なくとも彼は孤独ではなかったし前向きな気持ちを持っていました。志半ばでの死は悔しかったでしょうけれど、彼の最期の人生は「すばらし」かったのではないかと思いました。